器の問題。

器の問題。

  2021/1/23  
     
 

 

 

トランプ氏の言動には、最後の最後まで世界中が振り回された格好になったが、あの強烈なパフォーマンスに魅力を感じないでもない。

 

大国アメリカを引っ張っていくには、あのくらいでなきゃならンだろうとも思うが、反面、負けを認めない姿勢には、やや失望した。

 

新大統領の就任式にも出席しないなんて、そんなに器が小さかったか―。

 

 

 

日本のガースーはというと、就任以来、もうドンドン小さくなってしまい、存在感というものをまるで感じさせない。

 

顔は本人でも手足は別の大御所が動かす二人羽織のようなものだから、それもやむなしか。

 

この人はおそらく、能吏の人なんだろう。適材というか、官房長官時代の方が器が大きく見えた。

 

 

 

このごろは、不織布警察が出現しているらしい。スパコン富岳のシミュレーションの結果だろう。

 

自粛警察同様、自主性を求める日本の政策の副作用のようなものであるが、かといって、現在検討されている休業要請に応じない飲食店への罰則や、入院を拒めば懲役刑などに対しては、違和感を覚える。

 

日本が歩んできた歴史や文化との対峙という側面もあるし、効果の面でも疑問が残る。

 

 

今回の緊急事態宣言は、国の主導ではなく、世論に押され、慌てて国が対応した点で前回とは大きく異なる。

 

よって、緊急事態だといわれても、その認識は人によってズレがあるし、前回からの学習もある。効果がでないのは、当たり前である。

 

そして、このズレに懲罰の網をかけ、修正しようとしているのが今の国の姿である。

 

 

 

出して欲しかったのは、緊急事態宣言ではなく、リーダーシップだったのだが、日本は、町内会や農業共同体などの伝統的な共助を重視するあまり、欧米では当たり前の「リーダーシップ教育」を怠った結果、リーダーシップ・キャパシティが完璧に不足している。

 

 

だから、ガースーやほかの政治家たちに求めても仕方がないのだが・・・。

 

 

 

 

 

コロナウィルス対策には、大きな器がいる。

 

 

 

 

 

   

 

 

 

  林 正寛