かよわき子羊たちの本心。

かよわき子羊たちの本心。

  2022/11/14  
     
 

 

 

テレビが娯楽の中心にあり、歌謡曲が全盛期だった昭和のころ、曲のイントロのみで曲名を当てるクイズ番組の人気がとても高かったが、今、また、当時のブームを振り返りつつ、イントロクイズの普及活動に取り組んでおられる方の記事を目にした。

 

最近の傾向として、イントロが短いか無い曲もある。

長いイントロでは、曲に入る前に聴き手の離脱を招くらしい。

 

YOASOBIも藤井風も米津玄師も突然、曲が始まる。

 

その一方で、音楽配信は多様化し、さまざまなジャンルの曲が瞬時に手に入るようにもなった。現代版のイントロクイズは、かなり難解かもしれない。

 

 

 

この頃は、昭和への回帰ともいうべきか、当時流行った歌謡曲やファッションなどを楽しんだり、レコードプレーヤーでレコード盤を楽しむ向きも増えている。

 

亡くなってから30年の月日が流れた尾崎豊の展覧会が今年、全国の百貨店などで開催された。来場者の中心は、50代であるが、尾崎豊をリアルで知らない20代、30代の来場者も多かったようだ。

 

高度成長が終わりをつげた70年代は、狂乱物価の中、社会不安を背景に、「昭和枯れすすき」という絶望ソングがヒットしたり、人類滅亡を予言する「ノストラダムスの大予言」がベストセラーになった。

また、80年代には、新たなポップカルチャーやサブカルチャーが本格的に流行し、モノがあふれた。

 

しかしその反面、古い型の教育を押し付けられ、逃げ場のない抑圧感の中、大人への反抗、存在不安や閉塞感を覚え、鬱屈とした学生時代を過ごした若者たちの胸に尾崎ソングは突き刺さった。

 

その後、平成から令和へと移り変わった今、昭和のころにとは質の異なる将来への不安や孤独感を抱いている人は多い。

 

だからこそ、やり場のない怒りを代弁してくれる尾崎豊の曲は時代を超えて共感されるのだろう。

 

時代を超え、世代を超えて、「尾崎豊」は、いつも新しい。

 

 

 

 

早いもので、今年もあと1ヶ月半。

 

本来ならば、そろそろ忘年会の日程調整に入りたいところだが、どうやら今年も雲行きが怪しくなってきた。

 

一体いつになれば、カラオケで思いっきり尾崎ソングを歌えるのだろうか。

 

 

 

生きるために計算高くなれと言われ、計算高くなった。

 

愛することと生きるためにすることの区別に迷わなくなった。

 

逆らい続け、あがき続けたが、妥協を覚えた。

 

仕組まれた自由に気づかずに、縛られたかよわき子羊になった。

 

 

 

 

でもね、かよわき子羊たちの本心は、やっぱり尾崎ソングの中にあるんだよ。

 

 

 

♪~行儀よくまじめなんてクソくらえと思った

 

 

たぶんこれが本心だよ、今もかわらず。

 

大人になれなかったかよわき子羊たちの。

  

   

  

    

 

 

 

  林 正寛