パワハラ。

パワハラ。

  2023/7/4  
     
 

 

 

5月、半年ぶりに島根県にある納骨堂をお参りしてきた。

 

父と母、そして先祖代々一式と骨壺は三つ。

 

ロッカーから出してそれぞれふたを開け、ぎっしりと埋まったお骨に向かって声をかけた。

 

「元気ですかー」

 

鋭い視線を感じ、恐る恐る後ろを振り向くと、家人の眉間のシワが深くなっていた。

 

「あなた・・・」

 

 

お墓と違い目の前に“現物”があるお骨の場合、なんと声をかければよいのだろうか。

 

家人にいわせると、「普通は骨壺のふたは開けません」ということらしいが、わざわざ島根まできたので私は“会いたい”。

 

しかし一方で、このお骨が父と母だという実感もわかない。

 

たしかにあの日、火葬場で最後のお別れをした。

そして、出てきたお骨を拾ったが、拾いながら、これってホンマに父だろうか、母だろうかと思った。

 

今までもなんどかそういった場面-例えば、叔父や叔母の葬儀-に立ち会ってきたが、人間としての肉体が無くなり骨になってしまうと、私は急にサイエンス・フィクションぽく思えてきて、哀しみが後退してしまう。

 

そして、理科室にあったガイコツや漫画で人が雷に打たれたときのアレ、アンパンマンに登場するホラーマンなんかが頭に浮かんできてしまい、こう思うのだ。

 

「なるほど一緒やナ」

 

 

 

納骨堂参りの後は、本家へ挨拶に伺ったが、つらいのは、本家の真ん前には、私が処分してしまった、かつて父と母が暮らしていた歴史ある元林家の屋敷があり、それがどうしても目に入ってしまうことだ。

 

庭の植木などきれいに手入れはされているが、今はだれも暮らしてはいない。

 

雨上がりの朝。

屋敷のあたり一帯はシンと静まり返っていた。

 

どこかそのあたりに、幼い私の手をひいた母がいるんじゃないかと思えてしまうほど、今も昔も変わらぬ風景。

 

懐かしさが押し寄せてきて、胸が苦しくなった。

 

 

 

 

仕事中、私の横の机でパソコンになにやら入力している娘にガイコツの話をした。

 

「お父さんのガイコツ姿、興味あるわー」

 

パソコンの手は止まらない。

 

「お父さんも興味はあるけど、自分のガイコツ姿だけは見ることはできないからなぁ」

 

「でも、まだしばらくはガイコツにならんといてな」

 

今度はパソコンの手は止まっていた。

 

 

 

 

「安心してください。まだ、ガイコツになりませんよ」

 

「・・・・・・」

 

 

“カチカチカチ”と、パソコンに入力する音が急に大きくなった。

 

恐る恐る横を見ると、娘の眉間のシワが深くなっていた。

 

  

         

 

 

 

  林 正寛