哀しいこと。
2023/8/22 | ||
このブログでも何度か引用してきたが、フランス文学者渡辺一夫氏の戦争直後の随想にこう書き記されている。
『人間は、3分の1は獣。3分の1は機械。3分の1は堕天使。獣で機械で悪魔、それが人間なのだ』 『そして、人間は、いかに不完全で生臭い存在であるのかの自覚を忘れてはならない、恐ろしい本性を克服する努力を諦めてはいけない、狂気、不寛容、暴力の発作が二度と起こらぬようにしなければならない』
毎日ニュースで取り扱われる“人間の仕業とは思えない”凶悪犯罪に暴力、詐欺、いじめ、誹謗中傷、そして終わらない戦争。
しかし、人間が獣で機械で悪魔だとすれば、それはまさに“人間の仕業”であり、“人間の仕業とは思えない”出来事に対しての説明がつく。
思えば、まともな人間なんていないのかもしれない。
自分がまともではないことぐらい、自分が一番よくわかっている。
人々はおそらく、まともでない正体を人前で現すことのないよう必死に装っているだけに違いない。
人間はなんとも哀しい生き物だ。
“そんな人間”の指示に基づいて、文章や画像を自動で生成する人工知能「生成AI」
春に開かれたG7デジタル・技術相会合では、
『民主主義的な価値観に配慮する「人間中心の信頼できるAI」を目指すことで合意した』
と、毎回、毎回、突っ込みどころ満載の我が国の総理大臣の岸田さん。
民主主義的な価値観に配慮ってなんだ? 人間中心の信頼できるAIってなんだ?
生成AIは、そのリスクが置き去りにされたまま、国際的なルールも国としての枠組みも、企業としてのガイドラインも無いままに成長してしまい、今後の市場規模でいえば、4年後には世界で1210億ドルに達する可能性があると予測されている。
そもそも、AIはなにも考えていない。膨大なデータを分析し、最適解を導くだけだ。
「ターミネータ―」も機械が勝手に暴走したのではなく、結局は“人間の仕業”なのだ。
人間が一番恐ろしのに、「人間中心の―」なんていわれても、怖くて仕方がないが、所詮、世の中は人間中心で構成されており、人間が見るもの、作るものを否定していたら何事も成り立ちはしない。
つまり最後は、「人間は人間を信じるしかない」のだ。
これこそが人間の営みなのだが、やっぱりなんだか哀しい。
渾身の力をふり絞って鳴いていた蝉がついに力尽き、街路樹に静けさが戻った。
夏の終わり。
こちらもなんだか哀しい。
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林 正寛 | ||