雨模様の朝のこと(№772)
2025/6/24 | ||
孫がこの春、小学校に入学した。
大きな真新しいランドセルを背負い、文字通りのピカピカの一年生だ。
― 健康で明るくのびのびと育って欲しい。
祖父である私はこのことに尽きるが、親である娘はそうもいかない。
学校の行き帰りの無事を祈りつつ、担任の先生はきちんと対応してくれているだろうか、クラスには馴染めているだろうか、いじめられていないだろうか、給食は食べられているだろうか・・・。
娘は子どものことが心配でならないから、仕事中でも子どもの話題が多くなる。
いつ爆発するかわからない大きな火薬庫を背負い、親に反発ばかりしていたあの娘がと思うと、可笑しくもあるが、黙って聞かないと母親譲りのミサイル攻撃に合うので、私としてはじっと聞くしかない。
先日は、孫の画像とともに「国語の音読の宿題中」と書かれたLINEが娘から送られてきた。
― もう宿題?
なにかで読んだフィンランドに関する記事が頭に浮かんだ。
フィンランドは、世界でも一、二を争う高学力の国であるにもかかわらず、宿題やテストがなく、授業も少ない。
どの学校のレベルも同じなので、「いい学校とは?」と尋ねると、決まって返ってくる答えが、「家から一番近い学校」だそうだ。
どうしてこれで高い学力が維持できるのか、その記事にそこまでは書かれていたかどうか覚えていないが、明らかに、日本式の詰込み型の教育とは異なる。
私は、自分がしてこなかったことを子どもに押し付けるのが嫌だったので、「勉強しろ」と言ったことはないが、なにか自然の流れというか、子どもの方から塾を希望するようになり、季節ごとの講習も受けるようになった。
親としては、多額の出費は痛いけれど、お金を出してそこへ子どもを通わせなければ、子どもが取り残されるんじゃないか、そうなれば将来に影響するんじゃないかと気になった。
だけど、お金を掛けて、山盛りの勉強をさせることが、いい教育なのだろうか。
その結果、いい学校、いい会社に入ることが、どれだけの価値があることなのだろうか。
一体、いい教育、いい学校、いい会社ってなんだ・・・。
週明け、雨模様の朝。
娘から、週末に購入した新しい傘をさし、とても嬉しそうにランドセルを背負う孫の写真がスマホに届いた。 新しい傘が嬉しくてたまらないらしい。
― 健康で明るくのびのびと育って欲しい。
やっぱり、これでいいんじゃないか。たぶん。
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林 正寛 | ||