記憶。

記憶。

  2022/7/21  
     
 

 

 

先月、ギターリスト「ラリー・カールトン」のライブに中学生のころからの友人と行ってきた。

 

サザンオールスターズの曲で、高田みづえがカバーして流行った「私はピアノ」(1980年リリース)の歌詞に登場するあの「ラリー・カールトン」といえば、知らない人でも少しはわかってもらえるだろうか。

 

♪~あなたから目が離せない

ふたりして聞くわラリー・カールトン

 

 

懸命に聴いていたのは40年以上前のことだ。

 

当時、クロスオーバーとかフュージョンが流行し、音楽少年たちは、フォークギターをエレキギターに持ち替え、競い合うようにして聴いてはコピーし、明日のミュージシャンを夢見ていた。

 

ライブハウスの私たちの隣の席に、ずいぶんと若い男性がふたりいたので、声を掛けると19歳だという。

 

クイーンのフレディ・マーキュリーが亡くなって12年も後に生まれてきた彼らの洋楽オタクぶりはかなりのもので、40年前の自分たちの姿と重なって見えた。

 

おそらくこのライブの記憶は、彼らにとって一生の宝物になるだろう。

 

 

お互い、あの頃の面影さえも失いつつ60前のオジサンがふたり。あの頃のことを脳裏に思い浮かべながら、ひととき、あの頃の少年に戻り、74歳にしてより円熟味の増した世界的ギターリストの演奏に酔いしれた。

 

ちなみに、「私はピアノ」の2番の歌詞には、ビリー・ジョエルが登場する。

 

♪~つらいけど涙見せない

雨の降る夜にはビリー・ジョエル

 

 

 

記憶は失うのではなく、ただ、老化などによって記憶を引き出す力が失われるのだそうだ。

 

まあ、それもあるだろうが、記憶したそのときの脳ミソの若さだろうと思う。

 

若くてシワが多い脳ミソは、一瞬のうちに集中し記憶する力が強い。だから、昔のことはよく覚えている(思い出せる)。ただそれだけのことだろう。

 

「あなた、どうしてそんな大切なことを覚えていないの?」

 

よく家人に詰め寄られるが、覚えていないのは、シワとミソのせいで私の責任ではない。

 

久々にビリー・ジョエルを聴きながら、そんな言い訳を思い付いた。

 

なかなかいい言い訳だと思うが、今の私のシワとミソの状態からすると、そんな言い訳を思い付いたことさえ覚えてられるか自信がない(白目)。

 

 

 

 

6月、ラリー・カールトンのライブに行った。

 

   

 

 

 

    

 

 

 

  林 正寛