NINGEN、ニンゲン、人間。

NINGEN、ニンゲン、人間。

  2015/06/15  
     
 

人間はみな、持って生まれた「良からぬ業」を背負っており、清廉潔白な天使なんていうのはこの世にいやしない。

人は裏切るものだし、恋愛に別れはつきものだ。

 

― ということを私は以前、ブログに書いた。

 

人間は、割り込みしてくるクルマに道を譲る気持ちになれずにクラクションを鳴らすし、お年寄りが電車に乗ってきても寝たふりをして席を譲らない。そのくせ、自分が冷たくされると落ち込んだり、熱くなって怒ったり、泣いたりする。

 

― ということも私は以前、ブログに書いた。

 

何ヶ月か前の日経新聞の「春秋」に、フランス文学者の渡辺一夫が戦争直後に書き記した随想が紹介されていた。

 

人間は、3分の1は獣。3分の1は機械。3分の1は堕天使。獣で機械で悪魔、それが人間なのだ―と。

 

そして、人間は、いかに不完全で生臭い存在であるのかの自覚を忘れてはならない、恐ろしい本性を克服する努力を諦めてはいけない、狂気、不寛容、暴力の発作が二度と起こらぬようにしなければならないと、渡辺一夫は随想で訴えている。

 

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このところの、記事を読み進めることさえ憚られるような、残虐で狂気に満ちた事件の数々。

事件の質が以前とは変わってしまったような気がする。

 

「決してやってはいけないことではあるが、ただ、そうしてしまった気持ちはわからなくもない」

 

以前は、そんな事件の背後にある事情とか動機といったものに、自分も「同じ人間」として気持ちを揺さぶられたりもした。

 

しかし、この頃は、「同じ人間」の仕業とは思えないほど冷酷で容赦のなさに言葉を失う事件が多い。

 

人間は、不完全で生臭い存在であるという自覚を忘れ、恐ろしい本性を克服する努力を諦めてしまったのだろうか…。

 

 

しかし、私は以前、ブログにこうも書いた。

 

「つまり、人間は欲深くてスケベで怠け者で、人間同士で傷付け合ったりして愚かな存在なんだが、雲の向こうにはきっと素敵な何かがあるのではないかという純粋な思いを共有できるのも人間であり、だから人間同士、生きていけるのだ」と。

 

この世の生き物の中で、家族という単位で一緒に暮らし、生計をひとつにし、料理した食事を一緒に食べるのは人間だけである。

 

家族で子育てと介護をするのも人間だけである。

 

仲間同士で夢を共有し、艱難に立ち向かえるのも人間だけである。

 

 

たかがNINGEN、しょせんニンゲン、だけど、人間だ。

 

だから、人間が、獣で機械で悪魔であるはずがない。

 

 

 

そう信じたい。

 

  

 
  林 正寛  
     
     

株式会社アスキット・プラス

 

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