都(みやこ)。
2015/07/15 | ||
私には中学2年生の息子がいるが、先週までは学校と塾で試験が続き、こちらまで息づかいが聞こえてきそうな勢いで勉強をしていた。
私は勉強に関してはあれもダメ、これもダメだったので、机に座り勉強をしている息子の背中を見るにつけ、心の底から感心してしまうが、こういう心境というのは、親としては間違いなく失格だろう。
そんな私ではあるが、日本史には多少の興味はあった。 特に、平安時代から豊臣氏が滅亡する江戸時代前半までの栄枯盛衰の儚さは、今でも興味深いが、印象的なのは平氏一門が滅亡に至る壇ノ浦の戦いで、この場面は胸に迫るものがある。
祖母の二位尼は最期を覚悟して安徳帝に、「この世は辛く厭わしいところですから、極楽浄土という結構なところへお連れいたします」と言い聞かせ、「波の下にも都がございます」となだめ、安徳帝を抱いたまま壇ノ浦の急流に身を投じた。 そして、平氏滅亡の一部始終を見届けた平知盛が「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」と最期の言葉を残し入水した。
安徳帝はこのとき満6歳4ヶ月。あまりにも幼い。天皇といえども祖母のいう「極楽浄土という結構なところ」や「波の下の都」を信用したのかもしれない。
しかし、これが中学2年生ともなるとそうはいかない。
あの世とはどんなところだろうかと何度も何度も思いめぐらせ、ときには死の恐怖に震えることもあっただろうが、それでもあの世への道を選ばせた岩手の中学2年生の男子生徒の日常は、どれほどの苦痛に満ちていたのだろうか。
我が子に置き換えて考えると息苦しさを覚えるほど切ない。 なぜ気づいてやらなかったんだと外野から無責任なことは言えないが、この命助けてやれたのではないかと―。
まだ中学2年生、見るべきものはまだ見ていないし、人生が繁栄のときを迎えるのもこれからだった。本人はさぞ無念だったに違いないが、生きて欲しかった。
いじめや暴力はエスカレートしているように思える。 フランス文学者の渡辺一夫は戦争直後に書き記した随想に、人間は、3分の1は獣。3分の1は機械。3分の1は堕天使。獣で機械で悪魔、それが人間なのだと書き記している。
私はそんなはずはないと、先日のブログで書いたが(20150615「NINGEN、ニンゲン、人間」)、もしかして、便利なばかりで情緒のカケラも無い機械に囲まれて生活しているうちに人間本来の本性である狂気、不寛容、暴力の発作が起きてしまっているのだろうか。 だとすれば、それが人間の本性である以上、残念ながらいじめや暴力は止まらないのかもしれない。
私は娘や息子に「部屋を片付けろ」と言っても「勉強しろ」と言ったことは一度もない。 自分がしてこなかったものを我が子といえどもどうしても言えない。 だけども、自分がしてきた唯一、これだけは言える。 「踏ん張って生きろ」と。
生きて都を探せ。
波の下に都はない。
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林 正寛 | ||