君がくれた夏。
2015/09/02 | ||
ようやく芸能ニュースの欄から堀北真希の結婚に関する記事がなくなり、少しずつ心に落ち着きを取り戻してきた。
いつかこんな日が来ることはわかっていたものの、噂ひとつないところに突然の結婚報道だった分、衝撃は大きく、落ち込んだ。
40通もの手紙を送ったり、飲み会に誘ったり、電話番号を聞いたり、自分の連絡先を教えたり、新幹線で移動中に突如現れたり…。
これではまるでストーカーと同じじゃないかと思わなくもないが、堀北真希は落ちてしまった。
おそらくこの間、堀北真希は相手の心を色々と想像したことだろう。
どういうつもりだろうか、本気なのか、冷やかしなのか、遊びなのか、私のことを真剣に想ってくれているのだろうかと―。
人の心は分かりにくい。
しかし、私たちは子どもの頃から、相手の心を想像し、理解しようと心掛け、他者を思いやる力を育ててきた。
幼少期における絵本や童話、またはマンガの類いもあったが、そうしたところに度々登場する擬人化された動物や昆虫、草木、風、太陽など自然界にあるあらゆるものが主人公となり、または主人公とかかわり合いながら笑い、泣き、怒り、そして何ものかを語りかけてきた。
そうしたものを通じて自身の心を形成し、他者を理解しようとする心を育てることができるのは、人間だけではないだろうか。
ホミノイドという枝からチンパンジーとヒトが分かれたのはわずかに五百万年前である。
生命の歴史が四十億年だとすると、生物史におけるヒトのシェアはたった0.1パーセントに過ぎない。
にもかかわらず、人類がこれほどまでに成長し発展を遂げてきたのは、生物史上、まれなことであろう。
しかし、日が当たれば陰は必ずできる。成長の裏側で犠牲になるものもある。
それが人にとって一番大切な、人にしか育てることのできないものだとしたら、私たちは多大な犠牲のうえに立っていることになる。
人類はこれ以上、何を望むのだろうか。
君がいた夏に
この気持ちうまく言えなくて
堀北ロスから完全に立ち直るには、もうしばらく時間がかかりそうな今秋である。
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林 正寛 | ||