感嘆符。

感嘆符。

  2015/12/28  
     
 

毎年、年末になるとI先生からお誘いがかかる。

 

 

I先生とはもう20年近くお付き合いをさせていただいているが、とても頭の切れる先生で、物の考え方や結論の導き方、書面の書き方など、たくさんのことを吸収させていただいた。

 

 

以前はよく飲みに出たが、最近は、1年に一度、年末限りの二人きりの酒宴だ。

 

 

ところが昨年、酒の途中で突然、来年は林さんの奥さんも誘って三人で飲みに行こうと言い出し、“いやいや、嫁が一緒であれば忘年会にならないじゃないか”と思いながらも、そこははっきり反対はせずに、「はぁ」と生返事だけで済ませておいたのだが、今年はその言葉どおりに家人を含め三人で忘年会となった。

 

 

これまでの私との関係や仕事のいきさつなど、I先生は家人に意気揚々とお話をされていたが、私は普段、あまり仕事のことを話さないので、家人にとってはどの話も新鮮だったようで、「まあ!」とか「あらぁ!」などと、やたらと感嘆符が多かった。

 

 

「あの頃、私は40代でね、林さんはいくつだったかな、30代だよな」

 

 

そう言って私を見たI先生の顔をマジマジと眺め、老けたなぁと思いながら、人は生きていて「いや~、今日はいい一日だったなぁ」と思える日は一体、いくつあるのだろうかと考えた。

 

 

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答えはいたって簡単で、そんな一日はほんのわずかしかなく、悔んだり、失敗したりダメな日の方が多いように思う。

 

 

だけども、恋人とのデートの日や大切な試験がある日などに雨が降らなければ本当は「ラッキー!」なはずなのに、私たちはあまり意識することなくスルーしてしまっていて、反対に雨が降ったり台風に遭えば、「最悪…」と、記憶に留まる。

 

 

だから、何事も無く過ぎていっている人生の大半は、意識をしていないだけで、実はとてもいい時間なのではないのかと、私は楽観的に思う。

 

 

もちろん、毎日、美味い酒が飲めるほど世の中は甘くはないし、人に言えない事情を抱え、一体、どうすればいいのかと思い悩むことが多いのも事実で、特にこの頃は、明日という日が見えにくい。

 

 

ならば、昨日のことは忘れ、明日のことは考えずに、目の前のこの一日を生きていくしかないのではないか。そして、何事も無く一日が終われば、「ラッキー!」だったと―。

 

 

時間は誰にも平等にそして容赦なく過ぎていくものであり、下を向いていても明るくしていても同じく時間は過ぎていく。

 

 

 

 

「ハヤシさん、素敵な奥さんじゃないか」

 

「そんなことないっすよ」

 

「オイッ!」

 

 

 

「と、ところで、先生の奥さんはどんな奥さんですか」

 

「ああ、鬼嫁です」

 

「あ、いっしょー」

 

「オイッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

明日は来るよ どんなときも

 

明日は来るよ 君のために

 

 

 

 

 

みなさん、どうかご無事で良い年末年始をお過ごしください。

 

 

 

 

 

今年も一年、アスキット・プラスオフィシャルブログをお読みいただきまして誠にありがとうございました。

  

 
  林 正寛  
     
     

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