今はもう書けないラブストーリー。
2017/11/14 | ||
昔、黒電話のダイヤルを回したあと、“カラカラカラ”とダイヤルが元に戻る音とあの独特の「間(ま)」が好きだった。
一番端から端に回す「0」は、元に戻ってくるのもその分遅くて時間が掛かるのだけど、急がなければならない救急と警察の番号にどうして「9」と「0」が付くのか、当時、不思議に思った記憶がある。
あのころ、彼女との通信手段は、家の黒電話か手紙、交換日記程度しかない時代。
彼女の家に電話するときには、ダイヤルの「間」が心を落ち着かせてくれたり、かえって緊張したりしたものだが、ときに父親が出てくるという緊急事態を乗り越え、彼女の声が受話器の向こうから聞こえてきた時は、心底嬉しかった。
彼女からの手紙は、何度も何度も読み返したりもした。
今よりも何倍も手間が掛かったが、その分、喜びも大きかった。
雑誌には、文通コーナーみたいな欄が必ずあって、投稿者の顔写真と名前、それに星座やちょっとした自己PR、そして住所もきちんと記載されていた。SNSの走りのようなもので、当時のトレンドだった。
また、「譲ります」のコーナーなんかもあって、今でいうメルカリみたいなもので、私は小学生のころ一度、「西城秀樹のレコード譲ります」と電話番号と共に投稿していた人に電話を入れて待ち合わせ、その場で代金を支払い譲ってもらったことがある。
駅に設置された伝言板は、連絡手段として貴重な役割を果たしていた。
人も時代もどこか鷹揚としていて、ダダ漏れの個人情報も気にならず、すべてが直接的でオープンだった。
個人情報が幅を利かせる現代に利用が広がるツイッターは、本名も素顔も明かさなくていい“見えない安心”を武器にして、時に、本来の目的である個人間のコミュニケーションの促進とは違う方向に歩き出し、人の心の闇を利用する手段にもなっている。
スマホの向こうにいる誰かに「フォロー」を求めてしまう心の隙間に、魔物がスッと入り込んできた座間市の事件。
闇からメッセージを送る見えないフォロワーに、なぜ彼女たちは寄り添ったのだろうか。
世の中から、“カラカラカラ”とダイヤルが元に戻る「間」がなくなるとともに、人同士の心の余裕、手間を掛ける時間の余裕もなくなったか―。
一人でつぶやくツイッターに、人と人の心をつなげる機能はない。
* * * * *
「遅くなってごめんなさい。寒かったでしょ。事故があったみたいで電車が遅れちゃって」
「あっ、そうだったんだ。実はこっちも遅くなっちゃって、今来たところなんだ」
そういってボクは、足元にたまった煙草の吸殻を彼女に気が付かれないよう靴でそっと後ろに隠した。
ボクの手を握ってきた彼女は、その手がすっかり冷たくなっていることに驚き、そして耳元でこうささやいた。
「たくさん待っていてくれてありがとう。大好きだよ」
今はもう書けないラブストーリー。
|
|
|
林 正寛 | ||