袋の中の人。
2018/3/27 | ||
閑静な住宅街にある戸建住宅に住む女性には子どもがなく、55才のとき旦那に先立たれた後、一人になり、そのころから家の中は徐々にゴミが詰まった袋で埋まりだした。
近所の人の話し声や音楽、車やバイクの発進音など、生活音ひとつひとつにクレームをつけ、所謂クレーマーとして世間とのコミュニティを遮断した。
世間との遮断を表現したのか、家の門扉の前に御影石を置いて封鎖して誰も入れないようにし、自らも横の勝手口から出入りした。
また、敷地内に2階建のプレハブを3棟も建て、それは外から見ると異様な要塞のようでもあるが、そのうちプレハブもゴミで埋め尽された。
セルフ・ネグレクトだろうか。
ただ一方で、NPOと死後事務委任契約を結び、自らが入所するための介護施設も決め、いつでも入所できる状況だった。
しかし、決めたものの、NPOからの度々の要請を無視し、施設入所を拒んだあたり、やはりセルフ・ネグレクトだったのかもしれない。
昨年の8月。周囲住民が異変に気が付き、警察に通報した時点ですでに死後1ヶ月が経っていた。
真夏に1ヶ月放置された遺体は、原型をとどめない。ゴミの山に沈み込むようにして埋まってしまい、なかなか発見されなかった。
遺体は納体袋に入れられ運び出された。
皮肉にも、最期は自らが袋の中の身となり、世間から姿を隠すようにして69年の生涯を終えた。
最近、このような案件が増えてきて、胸が痛む。
複雑怪奇なこの社会の一つの現象だろうか。
『孤独は山になく街にある。一人の人間にあるのではなく大勢の人間の「間」にある』
哲学者三木清(1897.1.5‐1945.9.26)が「人生論ノート」に記した光景が現代社会に広がる。
案件としての処理は終わった。
ただ、今でもまだ、頭から離れない。
どうすればいいのだろうか―。
いつまでも終わらない。
終われない。
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林 正寛 | ||