「負け」
2018/8/22 | ||
参加3781校のうち、3780校が負けた夏の高校野球選手権。
これからの長い人生を思えば、負けたということはとても大きな意味を持つ。
あと1歩届かなかった、あと少し足りなかった、というのがイイ。
まったく及ばなかった、歯が立たなかった、上には上がいるもんだ、こういう負けも自分を知る意味でイイ。
負けた経験は、必ず自分の中でなにかを覚醒させるきっかけになる。「負けた悔しさをバネにして…」というやつだ。
それに、勝った喜びはみんなでワイワイと共有できるが、負けた悔しさは共有できない。
次にどうするかは、個人に委ねられ、ひとり孤独に考える時間を持つことになる。
この時間がなにより貴重だ。
高杉晋作が「浮世の価値は三銭」と言ったとか。
まあ、だいたい人生はおおよそ最後は帳尻が合うようになっていて、勝者が勝者のまま人生のゴールを迎え、あの世でも天国でちやほやされているなんてことはあまりない。
私が言うと負け惜しみに聞こえるかもしれないが、お金にしても少し足らないくらいの方がイイに決まっている。
勝つ少し手前、達成する寸前くらいで努力を続けるのが一番たのしい。
勝つことはもちろん嬉しいが、勝ってなお兜の緒を締めることができなければ、それは「自分に負ける」ことを意味する。
この負けは厄介で、バネにならないばかりか、立ち直れなくなったりもする。
では、将来、「自分に負けない自分」を形成するためにはどうすればいいか。
今、「負け」を経験しておくことだ。
だから、「負け」はイイ。
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林 正寛 | ||