40年前の夏、再び。

40年前の夏、再び。

  2019/7/8  
     
 

 

父が亡くなってわずか3ヶ月。

後を追うようにして母が亡くなった。

 

 

昭和ひとケタ生まれの両親は、父が島根県の旧家の出身で、比較的裕福に育ったのとは対照的に、母は、同じ島根県ながら、10人の兄弟姉妹の上から3番目で、実家は自営であったが貧しく、弟や妹をおんぶしながら家の手伝いをしたこと、食べるものがなかったことなど、私が子どものころ、その苦労話をよく聞かされた。

 

 

価値観の異なる夫婦は、よく衝突していた。

 

詳細は割愛するが、母は、苦労して育った分、なかなか厳しい人で、「清く正しく美しく」をモットーにしていた(父にはムリな話だ)

 

 

今から40年前。

私が高校2年生の夏、当時、家族4人で岡山市に住んでいたが、父が広島市に転勤になった。

父はすぐに着任したので、当然、このまま単身赴任するだろうと思っていたが、なんと、母は、私と姉を置いて広島へ行ってしまった。

 

母はよほど父と一緒にいたかったのか、それとも、父を一人にしていられない(一人にするとマズい)事情があったのか。おそらく後者だろう。

 

姉と二人になり、檻から放たれた若干16歳の私の人生がそこから転落したのは、言うまでもないが…。

 

 

母はここ数年、認知症がやや進み、介護施設のお世話になっていた。

 

その間、父は実家に一人で暮らし、周囲には、一人暮らしの辛さをブツブツとこぼしていたようであるが、私には、どう見ても一人暮らしを楽しんでいるようにしか見えなかった。

 

一人になったときのために、退職後は、ひと通りの家事ができるよう母が練習させていたのも役に立った。

 

父にとって、婚姻後、初めてのゆったりとした時間が流れていたのだ。

 

 

そんな婚姻関係は、父が亡くなり幕を閉じたが、64年続いた。

 

母は、父の死もあまり理解できていないように私の目には映っていたが、心は通じ合っていたのか。

 

父に単身赴任を許さなかった母は、あの40年前の夏と同じように、天国へひとり旅立った父を再び追いかけ、さっさと逝ってしまった。

 

結局、母は、父のことが好きだったのだ。

 

 

 

 

なんだ、もう来たのかと、愕然とする父の顔が目に浮かび、可笑しい。

 

 

 

 

― 父さん、悪いことはできませんナ。

 

 

 

   

 

 

 

  林 正寛