ロマンスがありあまる。

ロマンスがありあまる。

  2016/03/10  
     
 

週刊新潮を創刊した新潮社の斎藤十一は、雑誌の基本姿勢を「俗物主義」と定め、人間が最も興味をそそられる三つの欲、すなわち金、色、権力を誌面で赤裸々に描き出すことに徹した(竹田圭吾「コメントする力」より)

 

この手の雑誌の役割は、人間が持つ本質の部分を煽って訴えかけ、興味を持たせ、いかに読者を満足させるかであろう。

 

ところが社会の風潮は、軽量、薄型、安全、健康、抗菌、エコであり、求められる人物像も、人間の本質がモロだしのギラギラした人より、どこまでも行儀が良くて健康的で清潔な「いい人」が好まれる。

 

しかし、毎日、「いい人」で過ごすのも一苦労で、本質とのギャップがストレスとなり、風潮に背いた人を見つけると徹底的に責めたい衝動に駆られるのかもしれない。

それが、昨日までは好感度の高い人気タレントであればなおさらだ。

 

今はだれもがいつでも情報を大量に取得でき、さらに、姿を見せることなく言いたい放題のコメントもできてしまうから、全国民が芸能リポーターや評論家となり、二次的、三次的に情報が拡散され、瞬く間に同調圧力が生み出される。

 

そうなると反対意見は言いにくい空気が広まるから、ターゲットは、社会の表舞台から降りるまで延々と責め続けられるわけだ。責める方は「いい人」なんだから、罪の意識がまったくないからね。

 

一人の人に対する集中攻撃については、STAP細胞騒動のときも同じことを感じたので当時もブログに記載したが、STAP細胞騒動では、当時52歳であった再生医療の第一人者が自殺という形でこの世から引きずり降ろされている。

 

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「女性タレントは不倫をした。不倫は悪いことだから謝れ、表社会から消えろ」

 

正論だし、おそらく正義は世論にあるだろうが、だからといって不倫をした人を自分たちとは異質で特殊な人間のように扱い、袋叩きにしていいわけではない。

 

人間なんてペロリと一枚皮をめくれば誰もが同じで、欲深くてスケベで、できれば贅沢したいし、ロマンスの一つでもないものかと思って生きている。

そんな本質が出ないよう、悟られないよう、猫をかぶって生きているだけじゃないか。

 

人間は軽率で何をしでかすかわからないのは、毎日のニュースを見ていれば誰でもがわかる。

自分や自分の身内は関係が無いと考えるのは傲慢すぎるだろ。

 

「いい人」ほど実はアブナイ。

 

それと贅沢は禁物だ。

君にあの女性タレントは贅沢過ぎやしないか。

 

 

僕にはありあまる

ロマンスがありあまる

少し贅沢をし過ぎたみたいだ

 

 

なんだ、わかってんのか…。

 

 
  林 正寛  
     
     

株式会社アスキット・プラス

 

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