春の日の夕暮れ。

春の日の夕暮れ。

  2020/4/27  
     
 

 

来月に予定していた父と母の一周忌を中止にした。

 

お坊さんと話をしていても、言葉の端端に「わかってると思うけど、来ないでくださいね」のニュアンスがビンビンに伝わってくる。

 

このタイミングで大阪ナンバーの車を島根県に乗り入れるのは、いくらなんでも無謀すぎるだろう。

 

父と母には我慢してもらうことにした。

 

 

 

法事でなにがつらいかというと、お経をじっとして聞いていなければならないことだ。しかも、長い。

 

小さな子どもは、すぐに飽きてしまい、お構いなしにそこら中を走り回っているが、さすがに大人にはそれができない。

 

厳粛でありがたいとは思うが、私は、まったく理解できないお経をさもわかったような大人の顔をして聞いているのがつらい。

 

もう少し、今風のわかりやすい言葉にしてもらえると、もっとありがたいのだが、厳粛さは犠牲にされるかもしれない。

 

 

 

「一周忌をしないことで、父と母が枕元に立ち、生前のことまで持ち出して、くどくどと説教されたりしませんかね」

 

 

お坊さんによれば、一周忌とか三周忌とかは、残された者が決めた形式的なもので(父の日とか勤労感謝の日などと同じで)、日ごろから故人を偲ぶ気持ちを忘れなければ、必ずしなければならないものでもないらしい。

 

 

今、私は毎晩、父と母の遺影を枕元に置いたようなポジションで寝ている。二人からじっと見られているようで、時に寝苦しい。

 

 

一周忌が終われば遺影を移動し、模様替えをしようかとも思っていたが、お坊さんの言葉を聞いて、あと1年、今のままのポジションで寝ることが決まった。

 

 

 

 

 

春の日の夕暮れ。

 

 

Ubeu Eateと書かれた大きなバックを背にした自転車が目の前を走り抜けていった。

 

 

 

 

 

外出自粛が続く。

   

 

 

 

   

 

 

 

  林 正寛