十字架。
2013/10/22 | ||
大学生になって大阪に出てきた頃のこと。
4畳半一間の小さな下宿で、風呂は無くトイレは共同。 部屋には、電話もなければテレビもない。
知り合いはいないし、暇で暇で仕方がない。
調子がいい時はパチンコ店で閉店まで時間を潰せるが、いつもそういうわけにはいかない。
そんなとき、しょっちゅう行ってたのが銭湯。 時間は潰せるし、気持ちいい。
ある日、カラダをゴシゴシ洗っていると、隣のオジサンから、バサーッとお湯がこちらにかかってきた。
「おいおい」
すると、「なんやとコラァ―、文句あるんか、おぉーっ」
― なんだコイツはギャク切れか。ヨッシャー、その喧嘩買ってやろうじゃないか。
と、そのとき、オジサンの背中が私にささやいた。
― 止めた方がいいって…。
私は目が悪い上に、浴室は湯けむりで見えていなかったが、よく見るとオジサンの背中から二の腕、太ももにかけて、見事な阿修羅が彫られていた。
― こんな凄い刺青は初めて見た。圧が尋常でない。
「やるんか、コラァー」
「いえ、やりません。ちょっと見せてもらってもいいでしょうか」
「なんやとぉ~」
「いや、こんな刺青初めて見ました。凄いですね」
オジサンは、もう「コラァー」は言わない。ちょっと満足そうに「勝手にしたらエエ」
よく見ると実に恐そうなオジサンで、私とは住む世界が違う人だということがわかった。
その後も銭湯には通ったが、それっきり、阿修羅にはそれっきり会わなかった。
なんとなく、オジサンの行く末が気になったことを今でも覚えている。
最近、若い人の間でファッションタトゥーが流行っている。
芸能人や歌手、スポーツ選手までもがカラダをタトゥーに染めている。
私は違うように思う。
若気の至りであれば、早々に除去した方がいい。
刺青というのは、そこまでして守らなければならないものがある彼らの世界における十字架である。
その重たい十字架を背負い、常人には計り知れない世界で生きている。
ファッションや見栄、虚栄に代用するような代物ではないと思うが…。
― そういえば、背中の阿修羅はどこか寂しそうだった。
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林 正寛 | ||