この道しかない。
2014/12/17 | ||
「罪を憎んで人を憎まず」
今回の衆議院選挙の結果を見ていてこの言葉が頭に浮かんだ。
「政治と金」の問題で批判の矢面に立っていた方々のほとんどが当選した。 他に人がいなかったのかもしれないが、当選した人は喜んでばかりもいられない。真価を問われるのはこれからだと肝に銘じねばならない。
過去の失敗に対する批判をしっかりと受け止め、今回の当選は、きちんと説明責任を果たす「場」が与えられたと認識するべきであろう。
父親の代から約50年続く「王国」にどっぷりとあぐらをかき、散々、有権者や党をかき乱し、「党は消えても○○は消えず」とか何とか減らず口を叩いた挙句、消えていった人もいるのだから。
有権者はそれほどバカじゃない。
「犯した罪は憎んでも、その人が罪を犯すまでには様々な事情もあったのだろうから、罪を犯した人そのものまで憎んではいけない」
この教えにある「事情」は、現代においても刑事裁判の場で「酌むべき事情」として、その有り無しが量刑に大きな影響を与えている。
共働き世帯、実家から離れていて祖父母の手助けを得られない世帯、シングルマザー世帯など、子育てには、親の生活環境による「事情」がつきまとう。
そこに、ミルクを飲まない子、なかなか寝付かない子、泣き止まない子など、子ども自身の性格や体質による「事情」も加わる。
それらの辛い事情が合わさったとき、親がどのような精神状態になるのかは、子育て経験者としてある程度は想像できるので、子育てに必ず存在する「酌むべき事情」は頭から否定しない。 子育ての過程で誰だって、子を理不尽に激しく怒ったり、頭を一発はたいたりした経験はあるはずだ。
しかし、そんな親の「事情」を知らない子は、事が過ぎればまた、無邪気に笑い、親に愛を求め、頼ってくる。普通は、そんな子の姿を見て親は、先ほどの自分の行為を反省し、自分を責め、子を抱きしめて謝り、再び踏ん張り、子育てに向かうものである。
しかしこの頃は、「酌むべき事情の認められない」親から子への容赦のない虐待が増えている。暴行の悪質性も高くなっている。
何が一体、親から踏ん張る力を奪い、子への暴行に向かわせているのだろうか。
政治、経済、社会保障、環境、食、天候、災害など、現在進行形の不安と将来に向かっての心配事が多すぎるのだろうか。
社会との孤立だろうか。
そうだとすれば、それらを解決していくためにはどうすればいいのだろうか。何が必要なのだろうか。
政治家が罪を犯す「事情」など高が知れている。
過去の失敗に目をつむって投じられた票の重さを感じ、今、世の中は何を政治に求めているのかを考えて考えて、そして実践していって欲しい。
「この道しかない」と安倍さんは拳を握るが、どの道なのか、さっぱりわからない。
あと2週間ほどで年が改まるが、何が変わるわけでもない。
「踏ん張って生きていく」 どうやら来年も、「この道しかない」…。
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林 正寛 | ||