トリセツはない。
2014/12/29 | ||
「どうすればいいのかしら。トリセツ(取扱説明書)があればいいのに…」
家人がぼやいている。
― それって私のことだろうか…。
だいたい、自分で自分のことを扱いきれないときさえあるのだから、周りの人が折り合いをつけるのは難しいと思う。何といってもAB型だし…。
しかし、トリセツが欲しいのは、どうやら私のことではなく13歳の息子のことらしい。 どれだけ親が力を込めて説明しても、少しでも納得できないと首を縦には決して振らない。 頑固というか、プライドが高いというか、理屈っぽいというか、何といっても私の子だ。それに、AB型だし…。
13歳といえば、子どもから大人に進化する過程のスタート地点にあり、大人への憧れと大人に対する反抗心が混ざり合う時期である。
また、昨日までは何も感じていなかったクラスの女の子に今日はときめきを覚え、思い初め、昨日までの自分とこんなに違っていいのかと戸惑ったりもする。
崩壊しそうになる心を逃げずに懸命に支えようと踏ん張るが、この踏ん張りが反抗心を呼び、心から素直さを奪い、つっぱったり、叫んだり…。
うちの息子じゃなくても、この時期の子を持つ親なら誰でも、トリセツを一度は欲しくなるものだ。
世界最古の木造建築、法隆寺。その昭和の大修理をはじめ、薬師寺金堂・西塔などの再建を棟梁として手掛けた宮大工の西岡常一氏によれば、癖のない素直でまっすぐな木は力が弱く、耐用年数も短い。反対に、癖の強い木ほど厳しい環境で育っただけに、生命力が強いらしい。
例えば、西からの強風にさらされた山の斜面で育った木は東にねじれるが、元に戻ろうとする強い生命力が働いてそれが癖になり、時間が経つとともにより締まって強固になる。 「塔堂の木組みは寸法で組まず木の癖で組め」 これが法隆寺の棟梁家の口伝ということだ。
癖と個性を生かせば強くなる。 このことは、子育てや組織経営、スポーツなど、あらゆるものに通じるが、生かすも殺すも受け皿次第である。
子育てに関する受け皿は、間違いなく大人(社会)である。
今年はさらに、子どもに関する事件が多かったように思うが、すべては受け皿である大人に原因がある。 未熟な子どもが必死に踏ん張ろうとする心を受け止めて(気づいて)やらねばならぬのに、大人の心が先に崩壊してしまっているからどうにもならない。
以前に、大人は子どもが花を咲かせるための土になってやらなければならないと書いたことがあるが、今の社会では、大人は土にも水にもなれていない。
人生にトリセツはない。 大人が子どもたちの道しるべとなり、守ってやらねばならないのに、今の日本はそれができていない。 子どもを守ることひとつできない社会に未来はあるのだろうか。 アベノミクスだ、円安だ、株高だ…。 何やら、いちばん大切なものを忘れてしまっているような気がするが…。
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年末最後までブツブツと申し訳ございませんでした。 明日はきっとプラス。 明るい世の中になることを切に願っております。 一年間、アスキット・プラスにお付き合いいただきまして誠にありがとうございました。 みなさま、時節柄くれぐれもお身体をお厭いください。 では、また来年、お会いしましょう。
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林 正寛 | ||