あきらめる。
2014/09/22 | ||
あまりいいことではないが、この頃は「時間」に追われる。
時間に背中を押される感じで一日一日が高速で過ぎていく。
今月は2週続けて祝日があるが、祝日の存在を恨めしく思ってしまう。残念なことだ。
時間を自分でコントロールできるようになるのが理想だが、時間は決して思い通りに動いてくれない。
思えば、子どもの頃は比較的ゆっくりと時間が過ぎていっていたように思う。特に学校に通っていたころの「時間」といったら、嫌気がさすほど遅かった。
あのころ、時間をもっと有意義に使っていれば、今頃は世界征服も夢ではなかったか。
今さら偉ぶっても後の祭りだけど…。
うちの会社は法律事務所専門の看板を掲げているのだから、弁護士の先生からの依頼は断らないのが方針。 でも、そうはいっても、孤独死や自殺の案件は、正直、やりにくい。
この手の案件は、3年に2回くらいのペースでやってくるが、先日、入ったのは76才で孤独死した女性の部屋。
異臭があり、死後、1ヶ月くらいで発見されたのが今年の2月。
それ以後、ずーっと封鎖された部屋に入るのは勇気がいる。 幸い、もう異臭はなかったが、この案件独特のすえたような臭いとよどんだ空気は、息苦しさを感じる。
カレンダーは、今年の1月のまま。 取り込んだ洗濯物もそのまま。 机の上には、来週の予定が書かれたメモが行き場をなくしている。 茶碗、皿、箸、鉛筆、テレビ、洋服、布団、ブラシ…。主を突然失ったものたちが、あのときの瞬間のまま、動きを止め行き場をなくしている。
あのときからこの空間だけ時間がピタリと止まっているのだ。
止まった時間の現実を目の前にして、あらためて、時間に追われる現実こそが生きている証なのだと、少々青臭いことを思ったりもするが、それが実際のところである。
止まった時間の向こうには何があるのかわからない。
向こうへ行った人は誰もこちらへ戻ってこないところをみると、案外みんな幸せにやっているのかもしれない。
まさか、きれいなオネエサンに囲まれて、美味しい酒と料理を口にしているんじゃなかろうかと、半ば本気で考える自分をバカみたいだと嘲笑しながら(バカなんだが)、もうしばらく時間に追われるしかないとあきらめる。
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林 正寛 | ||