社会の宝物。
2013/05/26 | ||
「事件を教訓にして、各自治体は不就学の把握や情報共有の在り方を見直し…」 「全国で共有できる仕組みを構築し…」
私には、なんとも無機質な、賞味期限切れの発言にしか聞こえない。 これは、横浜女児虐待死の事件において学校関係者や各自治体が取材に対してのコメントしたものである。
母親が転居を繰り返す中、子供の不就学の情報が自治体間で共有されず、結果として最悪の事態を防げなかった。 SOSのサインは出ていたのに見落とした。
縦割りだか横割りだか知らないが、大人の無責任極まりない、事務的で品性に欠けた対応のために、助かった命がスルリと手のひらからこぼれ落ちる。
子どもは親の所有物ではない。 子どもは社会全体の宝である。
親は、子どもを育て、子どもに教育を受けさせる義務があり、子どもを一人前に育てて社会に送り出す。それが親の役割である。 親は、社会からその役割を負託され、その役割を補完する目的で、法律の定めるところにより、教育を受けさせる義務と教育を受ける権利などが存在するのである。
だから、「ここから先は親の役割」というような線引きは本来、あってはならないものであり、社会全体で「社会の宝」を守ろうとする意識がなければならない。 「管轄が違うから」などという線引きは当然、あってはならない。
要するに意識の問題であり、意識するとは強く思う心であり、その心さえあれば、SOSは必ず届く、胸に響くはずである。
いくら立派な仕組みを構築したところで、肝心の「意識」が欠乏していたのでは、機能しない。
「社会の宝物」を大人が守ってやらなくてどうする。
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林 正寛 | ||