「視力2000」でも見えない。

「視力2000」でも見えない。

  2014/11/12  
     
 

見えなかったものが見えるようになる。

ぼんやりとしか映らなかったものが鮮明になる。

そうすることで新たな事実が判明するのだから、こんな素晴らしいことはない。

 

国立天文台は、南米チリのアルマ望遠鏡で、形成されてから約100万年の若い恒星を取り囲むちりの円盤を観測することができたと発表した。

円盤には黒い隙間があり、惑星が誕生しているとみられる。

これまでの望遠鏡ではぼんやり見えるだけだったが、アルマ望遠鏡は人間の視力2000に相当する史上最高の解像度だとか。

 

国立天文台チリ観測所によれば、今回「見えた」ことで「宇宙観測に革命を起こすかもしれない」

宇宙観測に革命が起きるとどうなるのか、私には想像もつかないが、「見える」ということは、これほど重要な意味を持つ。

 

それなのに、私たちの日常は、「見えない」ものであふれている。

 

 

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最近、日本も世界もどこかおかしい。

 

「見えない」何かに常に押さえつけられているような、「見えない敵」に常に見られているような、そこはかとない不安が隣りにいつもいる。

「一寸先は闇」とは、こういう状態のことを言うんじゃなかろうか。

 

 

先日、父と母が60回目の結婚記念日を迎えた。

父は、間もなく86歳の誕生日を迎える。

 

「86にもなれば、人生の悟りというか、何か見えるようになりましたか」

 

「いや、まったく見えんな」

 

「あっという間でしたか」

 

「もう60回か。あっという間だった。大社駅(現在の島根県出雲市。廃線になり、今はもうこの駅はありません)発の京都行きの出雲号で京都へ旅行に行ったが、今思えば夢のようだ」

 

なるほど人生は、「夢のようなもの」なのかもしれない。未来を見ても、過去を振り返っても、どこか視界不良でぼんやりとしか見えない

見えたと思えばまたかすむ。手足だけがバタついて、少しも前に進みやしない。

 

しかし「夢」ならば、世の不条理も、前世の因果などというものを持ち出さなくても折り合いをつけることができるし、うたかたの出会いも別れもすべて説明が付く。「あっという間」もうなずける。

 

 

視力2000のアルマ望遠鏡をもってしても、鮮明には見えない「夢のようなもの」

 

しかし、こればっかりは、ハッキリと見えない方がいいだろう。

 

明日がハッキリと見える人生は、かなりやるせないから…。

 

 

 
  林 正寛  
     
     

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