清廉性という正義っぽいもの。
2014/11/17 | ||
「傷がついたアナウンサーを使える番組はない」
「アナウンサーには高度な清廉性が求められる」
銀座のクラブでホステスのアルバイトをしていたことを理由に、アナウンサーとしての入社内定を取り消した日本テレビ側の言い分である。
― すごいことを言うナ…。
「傷もの」にされた全国のホステスは、立ち上らねばならないだろう。
今、アナウンサー、特に「女子アナ」と呼ばれるジャンルに所属している人の中に、どれだけ「高度な清廉性」をもった人がいるだろうか。
これは私の偏見であり、ひとりひとりを見ていけば、そのような人がいるかもしれない。
みなさん、優秀な学歴と才能を持った才女に違いない。
だが、局側の視聴者に対する「女子アナ」の見せ方は、「高度な清廉性」とはよほど距離がある。
アナウンサーとタレント(若しくはレポーター)の境目がほとんど見えない。
娯楽番組でタレントと一緒になって、はしゃいで、食べて、体験し、そしてプロ野球選手やサッカー選手などとの浮名を流す。
それが悪いとは言っていない。
ホステスを引き合いに自分たちのことは棚に上げておいて、「清廉性」などという正義っぽいものを振りかざすことが、社会で生きる大人の態度としてあまりにも幼稚すぎやしないかということだ。
先日の日経新聞に、「観光宮崎の父」と呼ばれた宮崎交通の創業者岩切章太郎の逸話が紹介されていた。
岩切章太郎の原点は、少年時代に聞きに行った新渡戸稲造の講演にある。
農学者、教育者として有名になっていた新渡戸稲造は、その時の講演でこう語った。
「豆腐は非常に良いタンパク質だ。日本人がいい体格になるには、もっと豆腐を食べないといけない。私は大学者になるか豆腐屋になるか、懸命に考えた」
岩切章太郎は、この話を聞き、「東京に出て行くばかりが能じゃない」として、地元で生きがいを見つけようと心に決め、そして地元の発展に力を尽くし、自らサービス向上の先頭に立った。
あらゆる仕事に意義があるということだ。
ところで、日本テレビは、「清廉」という言葉の意味をわかって使っているのだろうか。
「清廉」とは、心が清らかで私欲がないこと、そのさまをいう。
つまり、「天使」に近い。
そもそも、そんな人がいるのだろうか。
私はいまだ、そんな人に出会ったことはないが…。
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林 正寛 | ||