まだ早いじゃないか。

まだ早いじゃないか。

  2015/02/16  
     
 

昨年の4月に叔母がお腹の不調を訴えて病院で診察してもらったところ、病名を告知され、余命を宣告された。1年もたないと。

 

どのような状況の下で医師から話があったのかは知らないが、病名や余命などという究極にデリケートな部分を最近は、比較的オープンにする傾向にあるのだろうか。

 

「余命」という言葉をこの頃は、書籍やマスコミなどでよく目にし、よく耳にする。

本人や家族が病気に対し向き合い、闘病していく上では、すべて承知している方がいいのかも知れないと思ったりもするが、果たしてどうであろうか。

 

医師からの余命宣告は、「それがアナタの運命なんです。運命が人の行く末を決めるんだから仕方がないんですよ」と無味乾燥な人生観を押し付けられるようでいい気はしない。

 

第一、叔母はまだ62歳と若い。闊達な大阪のオバチャンの典型で、余命宣告に対しても、「わたしゃ死なんよ。勝手に殺すな」と笑い飛ばしていた。

 

叔母に関しては、私が記憶する限りでは、3回、親族が急遽、集められた。その内の1回は、もうこれまでかと、周囲が口々に叔母の名前を呼び、涙しながら見送ろうとしているときに、叔母の友人で、これまた典型的な大阪のオバチャンがひと際大きな声で名前を叫んだところ、目を覚ました。

 

夢の中で交差点を渡ろうとしているときに呼び止められて引き返したら目が覚めたという。

叔母らしいなと思った。

 

 

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今年は我が家の長女が成人式を迎えた。

この成人式のために叔母は、着物に合う鞄と草履を買い揃えてくれていた。

 

1月12日。

成人式に向かう長女を写真に収め、長女を見送るとすぐに現像して病院へ持っていき、叔母に見せた。

このころは叔母の病状もかなり進んでいたが、それでも帰り際に、「また来るわな」と手を握ると、私の目をじっと見つめて、手を強く握り返してくれた。

 

― この調子なら、当分の間は大丈夫だな。

 

そう安堵して帰宅したその日の夜。病院から叔母が旅立ったとの連絡があった。

 

 

「なんだ、もう逝くのか。まだ早いじゃないか。もうちょっとゆっくりしていけよ」

 

小説か、エッセイかで読んだ、ある一節が頭に浮かんだ。著者も覚えていない。

 

医師の宣告どおりに逝ってしまうなんて、叔母らしくもない。

やはり、運命が人の行く末を決めるのだろうか。

 

いや、不確かなことばかりの世の中で唯一確かなのは「人は死ぬ」ということだけれど、私たちは、死ぬために生きているわけじゃなくて、生きるために生きている。

 

ならば、運命が人の行く末を決めたりは絶対にないと確信する。

 

 

こんな世の中ではあるが、まだまだ早い。もうちょっとゆっくりしてからだ。

 

  

 
  林 正寛  
     
     

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