慣れてしまうということ。
2013/03/07 | ||
先日、家の浴室のシャワーが壊れて、一日だけ使えなくなった。 使えないことは頭に入っているのに、入浴中何度もシャワーに手が伸びる。 頭では分かっていても、毎日のパターン化された動きにカラダが反応してしまう。気を取り直して、浴槽からお湯を汲むが、シャワーが無いだけで風呂に入る手順がくるい、ぎこちない思いをした。
「慣れてしまう」ことの恐ろしさ。
人間が持つ環境適応能力・「慣れ」とは、問題解決に向けた合理的な意思決定や行動を阻害する「無意識の罠」である。
これは、MBAコースで学ぶ「意思決定論」の一環であり、停滞を打破するためには、より良いものと自分や会社を比べて現状に対する危機感を煽り、将来の戦略を立てるヒントを得るという考え方の一つである。
なんだかよくわからないが、例えば、失業した直後で失意のどん底にいる人と、宝くじに当たって大金を手にしたばかりの人がいるとする。 当然、両者の現状の満足度には大きな乖離があるが、これが、6ヶ月後には、両者の満足度レベルはほぼ変わらなくなる。
お金持ちになった人は、恵まれた状況に慣れて(適応して)しまい、幸運に対する感謝の気持ちを失う。 失業した人は、恵まれない状況に慣れて(適応して)しまい、現状を変えようとするハングリー精神を失う。
企業も同じで、状況の悪化がわかっていても何もアクションを起こせないことがある。これも「適応」の一例である。
幸福も貧困も、それが続くと体が慣れ、当たり前の「日常」になってしまう。 そこに「慣れてしまうこと」の恐ろしさがある。 次なるモチベーションのためにも、時々は、自分の周囲を見渡して客観視して見るのもいいかもしれない。
しかし、そうはいっても、満足度レベルが同じなら、「お金持ちの日常」に慣れてみたいもんだ。
何か、モンダイアリマスカ…。
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林 正寛 | ||