因果。
2013/09/24 | ||
ドラマ「半沢直樹」。最終回だけはしっかり見た。 以前コラムで、銀行という公共の場を舞台にした、あまりにも現実離れしている内容にやや批判を込めて書いたことがあるが、結末は納得できた。
出向を命ぜられるラスト。テレビ的には続編を狙ったのかもしれないが、「世の中はそんなに甘くない」ということだろう。
「倍返し」には「しっぺ返し」といったところか。
官僚制組織は特にそうであるが、白は白、黒は黒では、世の中は通らない。 道理としては白であっても黒と言わなければならない「理不尽」さに世の中は溢れている。
あれで「半沢直樹」が出世してしまったら、第二、第三の「半沢直樹」が現れて、上司はいつも土下座のリスクにさらされることになる。
今回は、「半沢直樹」よりも「頭取」の方が何枚も上手だったということだ。
もとより銀行は、晴れているときに傘をしきりに差しだすが、一旦、雨が降り出すと決して傘は貸してはくれない。
それが銀行という企業の文化である。
明治12年、38歳で第一国立銀行の頭取の職にあった渋沢栄一が総会で述べた。
「国益に資するなら貸付の利息が減っても助成すべきである。銀行の利益だけを追うのではなく、金融で広く事業を興す助けをしたい」
渋沢栄一は、資金を社会に還流して国を富ませる役割を銀行は担っていると考えていたが、今の銀行はいかがなものものか。
第二次サラリーマン時代がスタートした当時、某大手銀行からの出向者に、私が過去に融資した案件の貸出稟議書を机に叩きつけられ、モノサシで頭と肩を叩かれながら言われた。
「こんな貸し方をしているからお前の会社は潰れたんだ。オレはおかげでこんなところに出向させられて、迷惑なんだよ!」
当時33歳だった青二才の私は歯を喰いしばって耐えたが、その時の悔しさがその後の仕事の支えになった。
その出向者の銀行は、それから4年後に破たんして消滅した。
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林 正寛 | ||