改悛の状。
2013/04/23 | ||
京都府亀岡市で無免許運転の軽乗用車が集団登校の列に突っ込み、児童ら10人が死傷した事故から1年を迎えた今日、事故があった現場で法要が営まれた。
最近は、峻烈を極めるような事件や事故が多く心が痛む。 特に子供や若い人が犠牲になるような事件や事故は、世の不条理を思い知らされる。 また、その悲惨さと量刑が必ずしも一致しないところが、なおさらその思いを強くさせられる。
亀岡の事故では、自動車運転過失致死傷と3件の道交法違反(無免許運転)の罪で起訴された少年(19)に対しては、懲役5年以上8年以下(求刑・懲役5年以上10年以下)の不定期刑が言い渡されたが、検察側と少年側の双方が量刑不当を理由に控訴している。
無免許の上、居眠り運転。これが危険運転致死傷罪(法定刑上限懲役20年)でなければ他に何があると言えるほどの最悪のケースなのに、「運転技術はあり、同罪の構成要件にはあたらない」と適用は見送られた。
「免許を持っていないのに運転技術はあり」。ちょっと理解に苦しむような表現である。
そもそも法律は、誰に対しても平等に違法か合法かの答えが出るようシンプルに構成されているので、細かい配慮には不向きで融通が利かないのも事実である。
そんな法の宿命の下で裁判官は、憲法と法律以外の何ものにも影響されることなく、自らの良心と自由な心証に基づいて判決を下すのだから、同じような事件であっても量刑にばらつきは出てくるのはむしろ自然なことではないかと思う。
また、一方で量刑相場なるものが存在することも事実であり、量刑相場もまた、「法の下の平等」のあらわれとして、尊重されるべきと思うがどうであろうか。 事件の悲惨さと量刑相場の板挟みとなる裁判官の苦しみは想像に絶するものがある。
死刑か無期懲役か。この判決に対する社会の断層も深い。 無期懲役といったところで、10年以上服役すれば、仮釈放の対象になり、「改悛の状」を条件に社会復帰も可能である。
「改悛の状」の運用の甘さについては批判があり、被害者のご家族の方のことを思えば、「改悛の状」の判断、運用をより厳密にすることも必要かとも思うが、解釈の幅を狭めて終身刑を導入することについても議論がある。
また、全国の刑務所はどこも定員オーバーの満室状態であるというつまらぬ事実も、終身刑導入の壁となっている。
世の不条理に加え、社会は理不尽ときた。 これが現実であるが、それでも歯を食いしばって生きていかねばならぬ。
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林 正寛 | ||