兄と姉。
2013/08/17 | ||
故郷の松江市から南西方へ山深く入り込んだ石見銀山に近いところに林家の本丸があり、そこで父と母が先祖の墓を守っている。
「まんが日本昔ばなし」に出てくるような田舎である。 本気を出して捜索したら、天狗や竜の類いの一つや二つ出てきても何の不思議もないし、ゲゲゲの鬼太郎に登場する「いったんもめん」あたりが空を飛んでいても、誰も驚かないのではないだろうか。
若い頃は理由をつけて帰省の遠路を避けてきたが、今では僅かながらも1年に2度、3度と墓参りに出かけるようにしている。 この年になってようやく、「生きている」ということはどういうことなのかが、多少はわかるようになってきたからである。
林家の墓には小さなお地蔵さんが二人、佇んでおられる。 私の兄と姉である。 二人とも生後数ヶ月でこの世を去った。 現代の医療技術であればたやすいことであったが、当時は見守り、祈るしか術はなかった。
わずか数ヶ月の人生ではあっても、兄と姉は確実にこの世に「生」を受け存在していた。 戸籍には、きちんと二人の「生」の記録が名前とともに記されている。 姉の古ぼけた写真が1枚だけ残っている。大きな布団中で眠る小さなその顔からは、深い息づかいが聞こえてくるかのようである。
二人の子供を立て続けに亡くした父と母の哀しみはいかほどであっただろうか。 「幾つにになりましたか」と菓子を手向けながら手を合わせ、それでも父と母は、いかにも平然と哀しみを受け止め、長い歳月を過ごしてきた。
そして、間違いなく、兄と姉の「死」の上に今の私の「生」が存在しているわけである。
しかし、それなのに、こんなぐうたらでとても申し訳なく思う。
毎度毎度、穴があったら入りたいくらいの心境を抑え、今年もまた、父と母に会い、そして、兄と姉に「直接」、お詫びをするために帰省した。
覚束ないながらも「生きている」ということが理解できるようになってから、どうにもこの二人には頭が上がらなくなってきた。すべてお見通しのようでかなわない。
今、兄は58歳、姉は56歳である。
兄と姉には一生追いつけない、追い越せない。
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林 正寛 | ||