今さら言っても仕方がない。
2014/08/01 | ||
人は一人では生きてはいけないし、社会も国も単独では生き残ってはいけない。
そのために、人や社会、国は、様々なものと相互に関係を築き上げながら微妙なバランスを保ち生きているわけである。
ただ、そこには必ずといっていいほど、時間の経過と共にズレが生じる。
そのズレを調整するために、考え方を修正したり、行動を変えたり、法律を改正したりするのだが、それでも毎日の暮らしの中で納得できないことや修正できないことはたくさんある。
それでもだ。人はブツブツ言いながらも、自分自身や人との関係、または社会や国に対してどこかで折り合いをつけ、多くのものを切り捨て、また構築しながら懸命に生きているのである。
しかし、思うにつけ、そのバランスのズレのようなものがここ最近、手が付けられないほど大きくなってしまい、調整不能の状態になっているような気がしてならない。
歯止めの効かない情報の氾濫による社会(大人の)秩序の崩壊とでもいえばいいのだろうか。
大人の言動とは思えない、社会的地位のある人の言動とは思えない、理解に苦しむ事件が多すぎるだろう。
暴力や性に関する情報があったとしても、大人が受け止め、防波堤になり、子どもに正しく伝えるのが本来であろう。
しかし、今は大人たちが情報を氾濫させ、大人自身が情報に飲み込まれ、いつの間にか情報にのめり込み、情報の嘘と真実の違いを見分けることができず、そしてバランスを失い、ついには真っ直ぐ立っていられなくなっている。
大人がそんなだから、大人がかかわってやらないから、子どもは方向性を失い、壊れていく。当たり前の話である。
核家族化によって、家族の構成や営みが縮小してしまい、技術や情報革新に家族団らんの場を奪われ、その結果、子どもが孤立してしまったのも原因の一つかもしれない。
子どもたちが起こす理解と想像をはるかに超えるような殺人。暴力、いじめ、そして自殺…。
「あの子はどこかおかしかった」、「精神鑑定が必要だ」というが、生まれた時からそんな子どもは断じていない。
大人と社会が子どもから笑顔を奪ったのではないだろうか。
世の中が複雑になり過ぎたのだろう。
もっとシンプルで良かったのに。
今さら言っても仕方がないか…。
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林 正寛 | ||