本能。
2013/07/04 | ||
朝の8時半ころ。 近鉄電車の「鶴橋」という駅で電車を待っていた。朝から暑いし、荷物は重たい。
そこへホームにスーッと入ってきた各駅停車の電車はガラガラに空いていた。 ― いやぁ~、良かった。少しの間、座っていけるな。 ヨッコラしょういち…。
と、私が電車に乗り込もうとするその脇から、ドカドカと男女の学生が大勢乗ってきた。席はあっという間に学生たちで埋まってしまった。この駅から4つ先にある某大学の学生たちである。 良く見ると、席に座っているのは学生ばかりで、サラリーマン風の大人が何人かポツポツと立っている。
― お前らいい加減にせんか。だれのおかげで大学に通わせてもらっていると思っているんだ。
なんて口にはできない。多勢に無勢、我慢するしかない。 それにしても、この配慮の無さ、気配りの無さは一体なんだろう。そもそも関心さえもないようにも見える。 彼らからすれば、同じお金を払っているのだから席に座って何が悪い。「あたり前田のクラッカー」なのだろう。
人間は本来、「人を助ける」という本能を備えており、人助けをした後はその「快感」に酔い、幸福度が高まり、前向きなエネルギーがどんどん湧いて、ポジティブな自己像を持つことができる。 「世話好き」と言われる人に共通のオーラがあるのは、こういった心理的な事情による。
だから、「席を譲らない」という「人助ける本能」とは反対の行動に出た場合、その代償として胸がチクチク痛み、「心が傷つく」のだ。 他人をいじめる、他人を敵視するということは、自分を敵視することであり、自分も深く傷つき、自分のことが嫌いになり、最後には人生が嫌になってしまうのだ。
子供たちは学校などの集団生活における人との関わり合いの中で、他人に優しくすることで得られる自己肯定感(心が元気になる感情)を高めることを学び、身に着けていくのだが、どうも最 近は「他人を敵視」するタイプの子供が増えているように思う。 本能を呼び覚ましてやりたい。
席に座れなかった腹いせ的にこうやって四の五の言っているのではない。 まだ49だ。今は、例え席を譲るといわれても「ジョーダンはよし子さん」だ。
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林 正寛 | ||