七夕の思い出。
2013/07/06 | ||
幼稚園から小学3年生の途中まで私は、島根県大原郡大東町(現在は雲南市大東町)というところに住んでいた。 小学3年生の夏休みに松江市に引越してからは、部活(バスケット)中心の毎日に変わったので、この町に住んでいたころの自由に遊びまわった思い出は深く心に残っている。
かなりの田舎で、学校から帰るとほぼ毎日、野生児のように野山や川に分け入り、昆虫、爬虫類、鳥類、魚類などを捕獲していた。今思えば、小さな子供にしてはかなり危険な場所にも行っていたし、川の激流に流されそうになったこともあったが、当時、山にも川にも空にも「妖精」がいて、私はその「妖精」に見守られながら遊んでいた。
「また、ややこしいことを言い出しよった」
― いや、ホントの話だから。説明はできないけど、あの頃はたしかにいたね。妖精が。
家はかなり古く、「劇的ビフォーアフター」に応募すればおそらく、一発で採用してくれると思う。 炊事場が土間になっていて、土間を通り抜けた庭の横に風呂とトイレがあり、夜中にトイレに行くときは恐怖との戦いであった。 天井裏では毎夜毎夜、ネズミにイタチ、ヘビも参加しての大運動会が繰り広げられていた。
そんな、自然とふれあうだけの特段の娯楽も無い生活の中で、七夕祭りはとても楽しい思い出として印象深い。
法被を着せてもらい、おじさん連中が引きながら町を練り歩く櫓の上で太鼓を叩かせてもらった。楽しくて、楽しくて、思いっ切り太鼓を叩いていた。 屋台がたくさん出ているわけでもなく、きらびやかでもない。何がそんなに楽しかったのかわからないが、私の中では、今もそのときの楽しかった思いと太鼓の音がしっかりと残っている。
短冊にどんな願いを書いたのかは覚えていない。覚えているのは、七夕の日の満点の星空と大量のゲンジボタルの幻想的な光の舞。 いや、ゲンジボタルではなく、あれこそが「妖精」だったのかもしれない。
― 大人になると見えなくなるものが多いナ。
彦星と織姫星は見えるだろうか。
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林 正寛 | ||