新しきもの。
2014/10/14 | ||
京都大学の山中伸弥教授が2年前のノーベル賞受賞当時、心境を問われて迷わず色紙に書いたのが「初心」の一言。
「研究者を目指した最初の日に戻ってまたやりたい」と。
授賞式が終われば、 「私にとってノーベル賞は過去形だ。メダルは保管してもう見ることはないだろう」
ちょっとかっこよすぎるが、偉人でなければ言えない。
「天が下に新しきものはなし」という言葉がある。
どんなに新しいことを考えたと思っても、ほとんどの場合が先人の二番煎じであるという意味であるが、これは聖書の中に出てくる言葉だそうだ。
旧約聖書に「かつてあったことはこれからも起こる。太陽の下、新しいものは何ひとつない」とある。
紀元前二百年くらいに書かれたらしいが、つまり、二千年もの間、繰り返されてきた社会の機微を言い当ててきた言葉である(五木寛之著書参照)
それだけ「天が下に新しきもの」を見つけるのは難しい。だからこそ、新たな発明や発見、実用化はノーベル賞ものである。
今回、物理学賞を受ける赤崎勇教授は、青色LEDの材料として窒化ガリウムという半導体に着目したのが40歳のときである。そこから、「我ひとり荒野を行く」ことおよそ20年。成果が出るまでそれだけの歳月を要した。
そして、今年85歳で受賞。
常軌を逸するといえば失礼かもしれないが、とても真似できるものではない。
ここまでしなければ「新しきもの」には出会えないのだろう。
ひとつの成果や失敗に一喜一憂することなく、腐らず、愚痴らず、粛々と「我ひとり荒野を行く」こと、「継続する」ことがいかに困難なことか。
会社の経営にも通じるものがある。
私は、荒野に彷徨うこと8年。どうしても迷う、ぶれる、途絶える。
しかも、まだわずか8年。
あらためて自分の未熟さを思う。
「新しきもの」は、ちょっとやそっとでは見つからない。
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林 正寛 | ||