自己弁護。
2014/10/09 | ||
このところ、報告書や意見書、見積書などの提出しなければならない書面が重なり、夜遅くまで会社にこもることが多かった。
そんなやや疲れ気味なところに急遽、東京に行かなければならない用事ができ、早朝、大阪を出て、午前10時に九段下にある依頼者の事務所を訪問したが、午後2時には大阪で次の打ち合わせがあったのでとんぼ返りした。
その日の夜は誘われるままに飲みに出て、深酒をした。
あくる日は早朝から和歌山県有田市までクルマを飛ばし、これも午後からの大阪での打ち合わせに間に合わせるため、大急ぎで帰ってきたが、さすがにバテた。
私はストレスを強く感じたりはしないタチではあるが、最近は疲れると、肩痛や腰痛、歯痛など、カラダに直接痛みの症状が出るようになった。
これもストレスの一種なんだろうけど…。
一日の終わりをハッピーに終わらせることの大切さを、ある野球評論家の方が新聞のコラムに書かれていた。
指導者としてグランドに立っていたころ、ピッチャーに少しでも良いイメージで降板させることに心を砕いてきたという。
打たれたり、失点したり、四球を出したところで交代させるのではなく、曲がりなりにも打者を打ち取らせてから交代させる。
ひとつのアウトを取るという小さな勝利を得る、この「切りのよさ」が次につながるという。
仕事、遊び、人間関係、お酒など、どんなことでも「切りのいいところ」はあり、そこで終わらせることがベストであり、そうすればハッピーに一日を終わることができる。
その日をハッピーに終わることができれば、カラダもココロも次の日にいい状態で持ち越せる。
しかし、頭ではわかっていても、これが案外難しい。
世の偉人たちは、おそらくここの「切り」とか「けじめ」がしっかりできているのだろう。
私のような愚かな宇宙人は、それができない。
毎度のことながら、翌朝、二日酔いの頭と調子に乗った残骸(領収書)の山を抱えながら、「わが計らいにあらず」(五木寛之)と開き直る。
そう、人はそもそも、そうせずにいられないところへおのずと引き寄せられるものなのだ、つまり、「なるようにしかならない」のだと、虚しい自己弁護に走る。
― バカは死ななきゃ治らんナ…。
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林 正寛 | ||