諦める。

諦める。

  2014/06/25  
     
 

YouTubeであれこれ検索しているうちに「ラブストーリーは突然に」という1991年に放送されたドラマがメニューに出てきたので、懐かしく見てしまった。

 

こうやって、「過去のもの」がすぐに見られるのだから、便利な世の中になったものであるが、これでいいのだろうかとも思う。

 

私が子供の時分は、一家にテレビは1台、録画機能もないので、見たい番組を見逃してしまえば、二度と見る手段はなかったし、父親にテレビを占領されてしまえば、一巻の終わりだった。

 

過ぎた時間は取り戻せないのが当然だったから、諦めるしかなく、特に気にとめることもなかった。

 

しかし、今は、録画して見ることが当然になり、YouTubeも日常化し、過ぎた時間が取り戻せるようになった。

 

しかし、そうした世の中の「便利機能」が、人から「諦める」という気持ちを奪ってしまっているんじゃないかと心配になる。

 

 

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「ラブストーリーは突然に」では、元恋人同士が3年ぶりに偶然、街で再会する。

 

彼は、せめて連絡先でも教えて欲しいというが、彼女は、またこうやって、いつの日かバッタリ会うのがいいと言って首を振る。

 

以前であれば、これで終わりだった。携帯もない時代である。奇跡的な「バッタリ」がなければ、昨日までもっとも身近にいて一番好きだった人に二度と会うことのできない悲哀を味わったが、諦める以外、どうにもならない。

 

それが今では、携帯はある、メールはある、FacebookやLINEもある。彼女に振られても、「機能」だけでなんとかでつながりをキープできるし、別れて何年か過ぎたとしても、近況を探し当てることもできる。たとえ片想いであっても、彼女の様子を垣間見ることだってできる。

 

これでは諦めきれない人も出てくるだろう。

 

おまけに、ついこの前まで、自分とのツーショットだったプロフィール写真が、どこぞの知らん男性との写真に変わっていたりすると、腹も立つというもんだ。

 

ストーカー行為の背景には、こうした「便利機能」の広がりがあるんじゃないのか。

 

 

最近のドラマは、刑事もの、医療もの、企業ものが目立ち、背景にはなんだかオッカナイ、情操教育に良くなさそうな恨みを晴らしたりするパターンが多い。

 

恋愛ものは少なくなったような気がする。

 

 

 

ラブストーリーは突然に始まり、そしていつか終わる。

 

会いたい思いをグッとこらえ、この恋は諦めるんだと自分に言い聞かせ、傷つきながらもヨロヨロと歩きだす。

 

 

恨みを晴らしても心は晴れない。

 

諦めることで人は成長する。

 

 

 
  林 正寛  
     
     

株式会社アスキット・プラス

 

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