大人の役割。
2014/06/04 | ||
父親は、「子供よりも交際していた女性に心が傾き、養育を怠った」という。
厚木市児童相談所は、10年前に極めて不審な状況で男児の姿を確認して一度は保護し、しかもその後、小学校に通っていないことも把握していた。
10年経過し、ようやく「今春、中学に入学する男児が入学していない」と警察に相談して、事件が発覚した。
入学するはずもない。もう7年も前に亡くなっていたのだから…。
また大人の無責任で事務的な危機意識に欠乏した対応のおかげで、一人の貴い命が失われた。
市は、小学校入学時に家庭訪問までしているのに、空き家と思い就学児童の名簿から削除している。
「あれ、おかしいな。不審だな、何故なんだろう、どうすればいいのだろうか」という発想がないのか。どれだけ事務的なんだ。
頭が悪すぎと言えば、言い過ぎだろうか。
「小学校入学時にもっと踏み込んだ対応をしていれば」と市教委は反省し陳謝したが、男児はもう戻ってこない。
当時5才。
どんな思いでたった一人、最期の時を迎えたのだろうか。
生きていれば、うちの長男と同じ中学一年生。
颯爽と毎日を送っていたはずだったのに。胸が痛む。
昨年、横浜での女児虐待死の事件では、母親が転居を繰り返す中、子供の未就学の情報が自治体間で共有されず、結果として最悪の事態を防げなかった。
大人が作った縦割り行政のおかげでSOSのサインを見落とし、助かった命がするりと手のひらからこぼれ落ちた。
子供を養育する義務と責任を放棄し、女性との付き合いを優先させた父親。
「子供を守る意識」が欠乏した事務的で機能しない行政。
どうすればいいのか。
本来、伝統的な町内会やボランティアやNPOのなどのコミュニティ(共助)を充実させたいところであるが、共助は、リーダーシップによって運営される助け合いのシステムである以上、残念ながら今の日本には求められない。
自助となると個人(例えば、親)の負担が大きくなる。
ならば公助に頼らざるを得ないのが現状である。
必要なのは、法律や定義にこだわらない、もちろん縦割りの“管轄”の壁を乗り越えたところの「社会の宝物」を守ろうとする「強い意識」である。
立派な仕組みを構築したところで、肝心の「意識」が欠乏していたのでは、機能しない。
「社会の宝物」を守れるのは大人たちしかいない。
文部科学省によれば、1年以上居場所が分からない小中学校の「居所不明児童」は、平成25年時点で全国で705人にも上っている。
守れる命がある。
|
||
林 正寛 | ||