万死に値する。
2014/06/05 | ||
「万死に値することをしてしまった」
大阪地検特捜部による郵便不正事件の捜査で、証拠を改ざんしたとして有罪判決を受けた前田元検事が、京都弁護士会主催のシンポジウムでの講演の冒頭、このような表現で改めて謝罪した。
「万死に値する」
これは特に裁判用語ではないが、裁判官が主文と判決理由を読み上げた後、あらためて被告人に非難・アドバイスなどをする「訓戒」などにおいて時々、登場する。
心情的にはもっと重い刑を言い渡したいのに量刑相場なる壁に立ちふさがれ、罪の重さに比べ量刑がバランスしないときなどに被告人に対し、「あなたが犯した罪は万死に値するのだ」と裁判官は説諭するのかもしれない。
それにしても、1日1回、死んだとして1年で365回。1万回死ぬには28年近くかかる計算になるので、「万死に値する」とは、かなり悪いことをしたことになる。
前田元検事は、証拠隠滅罪で懲役1年6月の実刑判決を受け服役したが、証拠隠滅の罪そのものはもちろん、大阪地検特捜部の現役検事が犯した罪の社会的影響の大きさを慮って「万死に値する」という表現をしたのだろう。
前田元検事は講演の中で古巣の捜査手法を「不利な証拠を組織的に隠ぺいし有罪を取るという独特の発想がある」、「取り調べで不利な話が出ると調書に残さない」などと痛烈かつ過激に批判している。
元検事のこういう話を聞いてしまうと、日本の刑事裁判での「有罪率99.9%」も納得できる。起訴されたが最後、「それでもボクはやってない」はもはや通用しない。
起訴した事件で無罪判決が出ると検察官の評価が下がるといったことも聞いたことがあるが、そうした「有罪至上主義」に追い詰められた心理状態の中で押収資料の改ざんに手を染めてしまったりするのだろう。
そもそも、「有罪至上主義」が行き過ぎると裁判そのものの存立意義が薄らぐという恐ろしいことにもなりかねない。
やはり公明正大に、証拠の全面開示と取り調べの全面可視化は進めるべきかもしれない。
検察は今回の事件をきっかけに組織の体質改善を図り、揺らぎ始めた「審理の公正」に筋を一本通してほしい。
前田元検事の「万死」を無駄にしてはならない。
|
||
林 正寛 | ||