近視まなざし。
2014/04/14 | ||
「職場で彼女の話題が出るたびに肩身の狭い思いをしている」
― 狭いのは肩身ではなく、あなたの料簡だろう。そりゃあね、毎日毎日、顕微鏡ばかりを覗き込んでいれば、料簡も視野も狭くなるのかもしれないが…。
と、つい嫌味を言ってしまいたくなるほど、小保方さんに対する同業者である科学者からの批判がとにかく痛烈である。
今回の小保方さんの騒ぎで、少しだけ科学者の世界を覗き見ることができたが、同業者から彼女を擁護する発言はあまり聞かれない。
批判には、こんなものもある。
「仮にミスだとしても研究者としてあり得ないレベルであり、私たちまで疑われるのは迷惑だ」
「母校の論文審査に問題があると思われるのは心外だ」
「ルールが守れないのは、研究者全体というよりも個人の問題だ」
「肩身が狭い」、「迷惑だ」、「心外だ」などは、普段、あまり使わないし、おそらく人生で使ってはいけない言葉である。
― 科学者って、そんなに偉いのか…。
「偉い」の基準を考えず、単に「偉い」か「偉くない」で決めるとしたら、間違いなく「偉い」部類の人たちだろうが、しかし、科学の世界ばかりではなく、この際、もう少し社会的な見識を広めてみてはどうだろうか。
そもそも研究の目的はなんなんだ。 分野はそれぞれ違ってはいても、目的は同じはずである。その目的があるからこそ、国も研究費として膨大な予算を計上している。
データ解析や実験、それらから得られた成果をまとめた論文は、目的を達成するまでの手段である。
今回は、その手段の過程で起こった手続き上のミスのように思えるが、結論はまだ見えない。
まだ見えてはいないが、わかっていることは「研究の目的」にブレたところはないということである。
そこをしっかりと見極めてから発言(批判)をしないと、手段のところにばかり目が向いて、「あなた方科学者は普段、何をやっているんですか。目的と手段が逆転していませんか」と言いたくなる。
つまり、近視眼的見方は危険だということである。
科学者であればこそ、自分の立場からだけではなく、一歩も二歩も引いた俯瞰的な視点、相手の立場に立った意見が求められるんじゃなかろうか。
「そういうハヤシさんこそ、小保方さんに肩入れしすぎじゃないですか」
涙の会見の刺激が強すぎたのかもしれない。
こういうのを近視眼的っていうんだけど。
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林 正寛 | ||