宿命。

宿命。

  2014/04/18  
     
 

若い警察官の男女が亡くなった。心中ではないかと言われている。

 

ふたりは幼なじみで、警察庁にも同期で入り、結婚の約束をしていたらしいが、男の方に不正なことがあり、結婚ができなくなったような報道がされている。

 

真実はわからない。

 

わからないが、ふたりが二十数年かけて築いてきた歯車が狂ってしまったのだろう。

そうでなければこんな悲劇はおきない。

 

死んだふたりに今さら何を言っても届かないが、生きていてほしかった。

 

どうも最近は、短絡的な事件が多いように思う。

 

「別れてくれないから殺した。別れたくないから殺した」

こんな供述を耳にする。

 

生き方が刹那的過ぎやしないだろうか。

 

自分ひとりで生きているのではないのだから。

 

家族、親せきなどは一生、この近しい人の死を引きずっていかなければならない。

残された者の哀しみは計り知れない。

 

それに、世間には、生きたくても生きられなかった人もいる。

余命を必死に生きている人だっている。

 

 

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「私の人生だから、私が何をしようが勝手でしょう」

 

バカを言っちゃいけない。

 

あなたがある日突然、この地球上に忽然と現れたのならそうかもしれないが、そんな人間はアダムとイブ以外、いないはずだ。

 

しかし、アダムとイブにしたって、現れた以上は、人や社会となにかしらのかかわり合いを持ちながら生きてきたはずだ。

 

生まれてから死ぬまで、誰ともかかわらず、誰にも迷惑をかけずに生きてきた人なんて一人もいない。

 

 

「お前と一緒になれないのなら、誰かに取られるくらいなら死んだ方がマシだ」

 

気持ちはわからんでもないが、死んだことのない人が、「死」を「生」の引き合いに出し比較してどうする。そこがいかにも刹那的だというんだ。

 

誕生の瞬間から「死」へ一日一日と向かっていく工程が人生であり、それが生きるものすべての宿命である。

 

だから人生は儚い。そのうえ、辛いことだらけなので切ない。

 

それでも私たちは生きてきたし、これからも生きていく。

 

それが宿命だから。それに、生きてりゃ何かいいことがあるかも知れないだろ。

 

 

切ないことも時が経てばいつかは忘れる。

 

何かが終われば、また何かが始まる。

 

それが人生だから。

 

 
  林 正寛  
     
     

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