来し方行く末。

来し方行く末。

  2014/04/25  
     
 

大阪府吹田市に「鉄道安全考動館」という建物がある。

JR西日本の事故資料展示施設である。

 

2005年4月25日に発生した尼崎脱線事故をきっかけに、JR西日本が社員の安全教育のために2007年4月に開設した。

安全対策を体系的に理解することはもちろん、加害企業として事故を風化させないことが大きな目的である。

 

尼崎脱線事故の現場はたまに電車で通ることがあるが、そのたびに胸の奥が大きく波立つ。家族や友人を失った人たちの悲憤は計り知れないだろう。

 

今日で事故後丸9年。死者は運転手を含め107名、負傷者562名を出す鉄道事故の中でも未曾有の大惨事だった。

まだ風化するような時期ではないと思うが、残念ながら当のJR側では驚くほどのスピードで風化が進んでいる。

 

 

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今では尼崎脱線事故後に入社した社員は全体の3割を超える。事故をほとんど知らずに入社する若者も少なくないらしい。

JRは、企業として毎年、新しい人材を迎え入れるが、特にここ数年は、旧国鉄時代からの社員の退職が進み、新しい人材の採用を強化したことも一因にある。

 

企業である以上、この流れは仕方がないが、事故の記憶の風化は安全の徹底を脅かす。

 

妻や子供を事故で亡くした遺族が鉄道安全考動館での研修に参加し、JR西日本の社員に事故の悲惨さ、肉親を突然奪われた哀しみを語り続けているという。

遺族は、肉親の死を無駄にしたくない、事故の記憶を風化させたくないという思いは強い。

 

しかし、遺族が加害企業で話をするなど、遺族にとってこれほど酷なことはない。

 

残された人は、亡くなった人に恥ずかしくない生き方をしようと、哀しみを懸命に乗り越え生きていこうとする。

そして、どんなに哀しいことも、「時」が解決してくれる。年月が経てば、哀しみもいつかは終わっていくものだ。

だが、遺族が加害企業で話をするということは、その哀しみをやわらげてくれる「時」を止めることになる。

 

JR西日本の社員は、「時」を止めてまで安全対策に取り組む遺族の苦しみを理解しなければ、事故のたびに何度、来し方を振り返ったとしても、安全という名ばかりの砂上の楼閣を仰ぎ見るに過ぎなくなる。

 

 

もうこのくらいで大丈夫だろう、と思ったときから風化は始まる。

 

未来永劫、安全対策に終わりはないと肝に銘じ、行く末をしっかりと見つめて欲しい。

 

 

 
  林 正寛  
     
     

株式会社アスキット・プラス

 

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