許してやったらどうや。
2014/04/15 | ||
旦那は何年も前に家を出ていった。
妻はその間、小さな蕎麦屋を経営しながら女手一つで子供を育てあげてきた。
ある日、旦那がふらりと帰ってきた。
旦那はまた、一緒に蕎麦屋をやりたい。周りの人たちも何とか寄りが戻らないかと腐心するが、
「今さら何よ、お母さんがどれだけ苦労したか知ってるの?」と子は強く反発する。
そんな矢先、街で強盗事件が発生し、犯人が蕎麦屋に逃げ込んできて、妻を人質に取りナイフを突きつける。
そこに旦那が飛び出してきて、
「人質ならオレがなる。その人はオレにとって大切な人なんや、だからその人を離してやってくれ」と犯人にお願いする。
犯人が「どうしてそこまで…」と驚いて聞き返すと、横にいた蕎麦屋の店員が、
「旦那さんは今でもおかみさんのことを愛しているからなんや」と代弁する。
犯人は旦那の変わらぬ愛に心を打たれ、「お前の気持ちに負けた」と、人質の妻を開放し去っていく。
この様子を見ていた子は、父の母に対する思いに心を動かされ、すかさず蕎麦屋の店員が子に、
「許してやったらどうや」と声を掛ける。
夫婦の絆、親子の絆にあらためて気付かされ、妻は旦那を、子は父を許し、親子三人でまた、幸せに暮らし始める。
毎度おなじみ、吉本新喜劇のストーリーである。 大阪の下町を舞台にした、夫婦愛、親子愛をテーマに、笑いあり涙ありで進行していく。
世の中には許せないことがたくさんある。
私は、この年になっても融通が利かないところがあり、先日、ある人の対応に憤った。
そのことを酒を読みながら先輩に話をすると、「相変わらずだな」と笑われたが、「許せない気持ちがある限り、いつか今度は、相手の方からお前のことを許せないと思われるような感情を得てしまうことになる。だから忘れろ」とたしなめられた。
「許せない」という感情が原因で親しかった人とすれ違ったり、もっと大きな事件に発展してしまうことだってある。
家族や兄弟も例外ではない。
世の中フェアでないし、思い通り運ぶなんてこともないが、しかし、そのたびに「許せない」感情を使い、報復だ、倍返しだなどとやっていたら、争いだけしか残らなくなってしまう。
これ以上は口にせず、墓場まで持っていくしかないとあきらめることも大人の判断である。
「許す」行為には、並々ならぬ感情の犠牲を払わなければならないこともあるだろうが、「許せない」という感情が沸き起こったとき、一度、自分自身に問いかけてみてはどうか。
「許してやったらどうや」
許してもらえた方は、これだけ嬉しいことはない。
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林 正寛 | ||