そこが危NAI。
2014/05/03 | ||
世間はゴールデンウィークだというのに、こうしていつものように仕事をしていると何やら浮世離れしたような感覚になる。
ビルのフロアで明かりが点いている部屋はうちの会社だけだし、今日は外の騒音も聞こえてこないので、余計にそう感じるのかもしれない。
みんなが将来の夢をかなえようと勉強しているときに、私は居眠りして夢を見ていたのだ。 さぼったツケは今ごろになって払わされる。
普段から私は、浮世離れした人、つまり、考え方や生き方が変わっている、一般的でないと言われることが多いが、何故なのか、私にはさっぱりわからない。
私くらい、ごく普通の真面目な社会人はいないんじゃないかと思うが…。
この世を「浮世」という。
もともと、「うき(浮)」は苦しい、辛いを意味する「憂し」の連用形「憂き」が本来。そこに仏教的思想が入り込み、この世を「無常のもの」「はかないもの」と考えるようになったため、漢語の「浮世(ふせい)」を当てた方がふさわしいとなり、「憂き世」を「浮世」と表記されるようになった。
ということは、浮世離れした人ということは、苦しみや憂いを感じない、どこか楽し気な人ということにもなる。
江戸時代に入ると、「はかない世の中であればこそ浮かれて暮らそう」という現世肯定論が生まれ、「浮世絵」にあるように享楽的な意味も表すようになった。
とすると、私はこっちの方か…。
つまり「浮世」とは、喜怒哀楽に満ちたこの世、俗世間全般を意味するということなのだろう。
この世は、諸行無常であることに変わりはない。
ましてや、男女の恋情などその代表格である。
“つちやかおり”は、「3年B組金八先生」でドラマデビューした時、身長150cmにも満たない小柄で可愛らしい女の子だった。
当時は15歳だから、今と比較すること自体間違っているし、そもそも私は彼女と会ったこともないので、性格など知る由もないが、3人の子供を育てた母親とは思えない今回の大胆発言には、生々しい諸行無常の「浮世」そのものを感じる。
あの腹のくくりかたは尋常ではないので、おそらく夫婦間の修復は不可能であろう。
旦那の“ふっくん”は傷心気味であるが、ここは男らしく、バシッと…、あれっ?ふっくん、そういえば君、歌ってたじゃないか。
♪~ ツベコベ言うなよ! 明日なんか ないぜ! 欲しけりゃ 迷わず すがりつけ!
でも、今となれば“つちやかおり”が歌ったほうがいいかもしれない。
人生は流転するものだ。
♪~NAI・NAI・NAI そこが危NAI
|
||
林 正寛 | ||