一体、何がしたいのだ。
2014/05/07 | ||
「ハヤシさんの査定金額は低すぎますよ。過去にこれだけの金額で売れた事例があるじゃないですか」
「それは過去の事例で目先の需要は弱い。今現在、別の部屋で売りに出されている金額はここまで下がっています」
「それは販売中であって事例ではないでしょ。うちの会社は事例重視ですから」
「事例よりも低い価格で既に売り出されている部屋がある以上、市場はこの金額に引っ張られます」
「一か八か、この金額で売りに出してみてください」
「債務者は、一か八かの賭けをやっているんじゃないですよ。この金額では間違いなく売れないですし、ここまで吹っかけると下げても売れません」
「ハヤシさん、ごちゃごちゃ文句を言うなら、もう案件出しませんよ」
「文句じゃなくて、私はただ意見を…。わかりました。従います」
まったく、一体なにがしたいと言うのだ。
売出価格を幾らにするかを巡って債権者とたまに衝突するが、市場が受け入れる価格を設定していかないと、いたずらに時間をロスするだけである。
経済合理性には欠けるし、債務者の苦しみに対する理解も足らない。
最後は居丈高に上から爆弾を落とす。
債権者という立場だけの議論で、今、何をしなければならないかが抜け落ちている。
現在、年1回の保育士試験を2回に増やすよう求めていた政府の規制改革会議に対し、厚生労働省は対応を見送る決定を伝えた。
厚労省によれば、試験会場確保に係る経費負担を受験料に反映させなければならないため、受験料が高くなるという。
さらに、試験を年2回に増やせば一時は受験者や合格者は増えるが、4~5年後には年1回の場合と同数になり効果が消えるから、試験回数を増やす必要がないと。
当たり前じゃないか。
改革には痛みも苦しみも伴うし、実際に経済的リスクだって伴う。
しかも、改革後の効果は長続きしない。何れは平準化されていくものだ。
効果がなくなれば、その時はまた、年1回に戻せばいい。
厚労省は、対案として、幼稚園教諭免許者が保育士資格を取るための研修を軽減する措置を打ち出したが、これは単なる変更、改善に過ぎず、それこそ、一時の効果すら望めない。
待機児童が大きな社会問題になっている現在、足らない保育士を早急に増やして必要な保育所を確保することが喫緊の課題である。
つまり、今求められているのは、緩い変更や改善ではなく革新であるのに…。
一体何がしたいのかわからない。
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林 正寛 | ||