かくれんぼ。

かくれんぼ。

  2014/07/18  
     
 

「かくれんぼ」は、国ごとに多少のルールの違いはあっても、世界中の子供たちが大好きな遊びのひとつである。

 

いくらゲームが遊びの主流になったといっても、かくれんぼの人気は根強い。

 

ゲームをしている時と違って、子供たちの動きや表情が生き生きとしていて、無邪気で、見ている方も楽しくなる。

 

しかし、そんなかくれんぼの場へ戦闘機が現れて砲撃し、子供たちを吹っ飛ばした。

 

現実のものとは思えない光景が、パレスチナ自治区ガザ地区で繰り広げられた。

 

これだけ大人たちが憎しみ合い、醜い争いを続けていようとも、子供には関係が無い。

 

その日も子供たちは、かくれんぼに夢中になって遊んでいたのだろう。

 

子供たちにとっては、友達と遊んでいる時が唯一、悲惨な戦闘を忘れることができる時間なのかもしれない。

 

そんな子供たちの唯一の楽しみを奪い、大切な命までも奪う争いに何の意味があるのだろうか。

 

 

大人の身勝手な振る舞いの犠牲になるのは子供たちだ。

 

日本では、虐待や育児・養育放棄で何人もの子供たちが犠牲になっている。

 

いたずら目的で子供を連れ去る愚か者もいる。

 

倉敷市で行方不明になっている女の子も大人の仕業に違いない。今頃、どこで何をしているのだろうか。胸が痛む。

 

 

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昨日の最高裁の判断。

 

「法律上の父子関係と生物学上の父子関係が一致しないこともあるが、民法は容認している」と結論付けた。

 

「妻が結婚中に妊娠した子は夫の子と推定する」という民法における嫡出推定の規定は、DNA鑑定など想像もつかない明治時代にできたものである。それならば「推定」するしかない。

 

しかし、父子関係が科学的に根拠づけられ、しかも夫婦関係が破綻し、子供は実の父親と一緒に暮らしている現状に鑑みてもなお、民法を優先させねばならなかった理由がわからない。

 

「子の身分の法的安定性の保持」は大切なことではあるが、勝訴した側の父親は、この判決をもって良好な父子関係を構築できるのだろうか。

 

この件の一番の犠牲者は子供である。

 

元はと言えば、このような関係性に至ったのは大人の身勝手である。

 

夫婦関係が破綻したのも、別の男性との間に子ができたのも大人の身勝手である。

 

そして大人たちは将来、子供が成長したときに、科学的根拠や目の前にある日々の暮らしよりも、明治時代にできた民法の規定が優先されたこの判決を、子供に説明できるのだろうか。

 

 

 

かくれんぼは、見つけられれば悔しいが、反面、ホッともするものだ。

 

鬼が勝手に見つける作業を放棄すれば、かくれんぼは成立しない。

 

大人はそんな身勝手な鬼になっていやしないか。

 

今は隠れているかもしれないが、子供の輝かしい未来、夢、希望を見つけてやるのも大人の仕事である。

 

 

大人の身勝手は許されない。

 

 

 
  林 正寛  
     
     

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