俯瞰する。
2014/07/22 | ||
少し前の話にはなるが、私の知り合いのご子息が高校時代にグレた。
家にはほとんど帰ってこない。
バイクを乗り回し、それはひどい乱れようで、見るたびに顔つきまで変わってくる。
髪を金髪に染めて、鼻にも唇にも穴をあけて何やらブラブラとぶら下がっている。
ついに高校は退学になり、いよいよ彷徨いの人生が始まった。
ある日父親はついに見かねて、嫌がる子どもを強引に連れだしてヘリコプターに乗せ、地上高く舞い上がった。
この父親はヘリの免許を持っていた。
「この小さな日本の中の小さな大阪に、これだけのビルや家が建ち並び、人が住み暮らしている」
「……」
「人間なんてちっぽけな存在だが、それでもみんな、懸命に勉強し働いている」
「……」
「お前の存在のなんと小さいことか。髪を染め、鼻にまでピアスを通し、そんなことでしか自己主張できないなんて情けないと思わないか」
「……」
「大阪でさえこの規模だ。日本を見ろ、世界を見ろ」
ご子息は終始無言であったらしい。
しかし、ご子息にすぐに変化が現れた。
髪の毛を黒に染め、顔からピアスがなくなった。
その後、高校に復学。某有名公立大学の医学部に合格し、医師を目指している。
昨日、60階建ビルの展望フロアーで大阪の街を眺めながら、この話を思い出した。
ビルは、わずか地上300mに過ぎないが、この高さからでも街、空、山、海のスケールは大きく見える。
よく見ると、多くの観光客に交じり、浮かない顔をしてボーっと外を眺めている人がいる。
「おい、ダイジョウブカ。しっかりしろ」と声を掛けたくなるほど、沈み込んだ表情の人もいた。
自分の小ささに苛まれているのではないだろうか。
流転していく人生の中で、細かい観察を離れ、巨視的に物事を捉えることは難しい。
もっと視野を広げたらどうか、人生を俯瞰しろとわかったようなことを人は言うが、毎日、生きるに暮らすに忙しい。
どうしても視界は狭くなり、ごく限られた世界観の中で、習慣化した(流された)生き方をしてしまうのはやむを得ないことだろう。
だから、たまにこうやって実際に高いところに立って俯瞰するのもいいかもしれない。
人の存在は限りなく小さい。 その小さな人の人生なんてのは、文字どおり一瞬で終わる。 その一瞬で終わる人生をどう生きるか。 それは自分次第だということを確認するためにも。
因みに、私は高所が苦手なので、展望フロアーで自分確認をする余裕など、まずないけどね。
あしからず…。
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林 正寛 | ||